第一章 奸賊設計乱人倫 忠臣秉直入監牢
前書き:春秋戦国時代は中華文化の土台を作った。文化といえば、諸子百家の奇抜な論理は各流派を立てて、後世に今までもその影響が及んでいる。代表人物は、儒家の孔子、孟子;道家の老子、兵法家の孫子、法家の商子、遊説家の張儀、蘇秦、そのほかに数え切れない偉人が活躍していた。
戦国と言えば、周は盟主の権威を失い、各地の諸候は自立し、自分自身を守るため隣国を攻めたり、破滅させたりして、盟主の地位を奪い取る時代だった。数十の国もあったが、名人の補佐によって、立派な事業を遂げた国は大体七国:斉、楚、燕、韓、趙、衛、秦である。(結局秦はすべての国を呑み取り、全中国を同一したが、その暴政で短い時間で滅されて、つまらぬ亭長の劉邦は張良の謀略と韓信の兵法で楚覇王項羽を打ち破り、天下を取り、強大な漢時代を作り出した。)
さてその時、楚国の庄王は即位したばかりで、実権も握られなく、大臣らに架空されている。すると、三年間経って、国家政治を手放し、毎日美女を抱いて酒に溺れている。朝廷に“諫言する人を処刑す”という文令を出していた。
その為、大臣の伍挙は一人で皇居に入り、楚庄王に聞いた:“町の歌謡を聞いております:「大きい鳥、大きい鳥、楚の皇居の木に止まり、三年間も飛ばずに鳴かず」、私は愚かな者でその意味は分かりません”。
楚庄王は:“その鳥は飛ぶなら天まで飛べる、その鳥は鳴くなら天下の人を泣かす。”と答えた。
“しかし、その鳥は飛ばずに鳴かずにいたら、狩人の弓に狙われ、稲妻のような矢が飛んできたら、どう飛びますか?どう鳴くでしょうか?”と、伍挙は聞き続けていた。
楚庄王は美女らを手放して、音楽を撤去し、伍挙と孫叔敖を用いり、国家政治を改革し、数年も立たないうち、各国を破り、覇王になって、正真正銘の盟主になった。
楚庄王は覇者の事業を遂げ、その次の共王、康王、霊王など、平王まで、諫言で有名な伍挙を大事にして、国を守り続けてきた。伍挙の三代子孫も楚国の大臣に勤めて、平王時代になったら、伍挙の孫である伍奢も大臣となった。平王は伍奢を太子の建の先生にして、国政の教育や指導を担当させた。又、大臣の費無忌を伍奢の助手に務めさせた。
ある日、楚平王は太子の婚姻を考えて、費無忌を呼んで来た:“太子はそろそろ成人になって、結婚を考えなければ成らぬ。君は賢い美女とか知ってるかな?”
費無忌は献言した:“天下一の美女は秦女という秦国にいる女の子で、幼いから厳しい教育を受けており、礼儀も正しく、頭も賢いでございます。もし太子のお嫁さんになったら、わが楚国には喜ぶべきことでありましょう。”
そうして、平王は金や銀など礼品を沢山用意して、費無忌に命じて、太子のために妃を秦から娶らせようとした。
費無忌は馬車を飛ばし、西の秦へ向かった。数十日間旅の苦労をして、秦に到着した。平王の贈り物を献上し、秦女を連れ戻した。万事順調だったが、帰国する途中で秦女を覗いてみたら、費無忌はびっくりした:その秦女は16歳だが、花や月のように鮮やかで、つるつる透明のようなお肌、愛嬌ある笑顔で、まさか天下絶品の美女じゃないか!
費無忌は性格には陰険で、常に野心を持っている。伍奢の助手として、太子にはそれほど目を向けられてない。逆に伍奢は太子と話したり笑ったりして食事さえよく一緒にした。それを見ると、費無忌は密かに嫉妬している。
突然頭が閃いて、秦女に口出した:“貴様はわが国の太子のお嫁さんになったらもったいないと存じます。平王は今はとても健康で、後3、40年生きていられるでしょう。その間は楚の国母として、限りなく豊かな生活も出来るし、恐れることもなく。しかし、太子は平凡な人間で、とても楚を守れる人物ではないと思います。太子よりその父親の平王にお嫁にしたら、いかがでしょう”
秦女もずいぶん前から平王の名を知り、迷ってしまった:“しかし、私は太子と結婚するため楚に来たので、突然平王に嫁したら倫理に合わないじゃないでしょうか?”と、費無忌に聞いた。
費無忌は:“われわれは良策を考えよう。成功したら是非太子の先生なんか辞めたい。私を実権力ある大臣にしてくださるようお願いいたします。”と言った。
間もなく、楚の首都郢に到着し、平王はすでに歓迎の宴会を用意した。占い者を呼んで大吉の日を定め、太子の結婚式を準備する。楚の大臣らも大喜びで、特に先生役の伍奢は忙しくて、結婚式の細かいところも自ら指揮している。
歓迎宴会の途中、費無忌は密かに平王に言った:“私の王様、実は秦女は素晴らしいお嫁さんに成るに間違いないでございますが、ところで、好きな人がいたと存じで、王様に報告しなければなりません。”
“好きな人?もう誰かと婚約したの?”平王はびっくりした。
“いいえ、婚約はしておりませんが、その秦女様はずっと憧れてきた人物がいて、その人物以外に誰にもお嫁にしないと、途中でその話をお伺いしました。”
“どんな人物かい?”平王はちょっと怒った。
“その人物は、あなた様、平王様でございます!”
“ヘィ~~!!”さすがの平王も驚いていた。
“私はその細かい話は出来ませんので、平王様は直接彼女に聞いたほうがいいと思いますが。”
平王は周りの人を退避させ、秦女を呼んで、話を伺いた。
秦女は三回も礼儀をして、“私は昔から楚の偉業を聞いており、平王様は先祖の事業をきちんと守ってきて、天下の諸候に尊敬されております。平王様のような天下一の男と結婚できるならずっと私のお願いでございます。太子建は将来平王様の事業を受け継ぐ才能があるかどうか、我が秦国の人々も疑っております。私は今日楚に参ったのは平王様と結婚するつもりで、もし断られたら、私はここで自殺するしかありません。”と言った。
平王は心揺れて、そばにいる費無忌に聞いた:“ところで太子の方はどうすればいい?”
費無忌は低い声で答えた:“隣国の斉には有名な美人もいますので、太子にお嫁すればいいと思います”。
平王はうなずいて、伍奢を呼んで来た。事情を説明したら、伍奢は汗も出て、費無忌に指差して罵り始めた:“お前の奸臣だよ!倫理を乱し、天下の人々に我が楚を笑わせるもんか!”
費無忌は恐れ恐れ:“私は何も知らない、秦女様自らの決意でござる。”と弁解した。
平王は立ち上がって、太子の新妃を斉から娶らせようと伍奢に命じた。
とうとう平王自身はその秦女を娶り、彼女をこの上なく寵愛して、子の軫を生んだ。
費無忌は秦女の一件で、すすんで平王に媚態をしめしたので、太子のもとを去って平王につかえた。だが、平王が死んだあかつきに太子が位について自分を誅殺するのではないかと恐れている。自分を守るため太子を除去しかない、費無忌は絶えなく平王に太子建を讒言した。
平王は次第に建を疎んずるようになり、都から遠ざけて城父の守に任じ、辺境の守備にあたらせた。
しばらくすると、費無忌は秦女とともにまたも日夜続き太子の欠点を王に訴えた:
“太子は、秦女の件で、怨みをいだかれないわけはありません。どうか、王は少し警戒なさってください。太子は城父に落ち着かれましてから兵を率いて、外族諸候と交わり、かつ都に侵入し反乱を起こそうとしておられます。”
そこで、平王は太子の先生伍奢を召喚して訊問した。伍奢は費無忌が太子を平王に讒言していることをしっていたので、
“王様には、どうして讒言して人を傷つけるようなつまらぬ臣下を信用して、骨肉の親族を疎んぜられるのですか?”と諫めた。
すると、費無忌は言った:“ただいますぐ制圧なさらなければ、太子の謀事は成就いたしましょう。そして、王は捕虜にせられましょう。”
秦女も平王の側に現れ、涙が流れながら訴えた:“平王様は仁義を持ち、謀反を図る不孝な息子に手を出せませんなら、我が秦国に避難しましょう。”
平王は怒って伍奢を囚え、軍隊を率いて、太子を殺させようと城父の司馬奮楊に命じた。
奮楊は城父地方の軍事司馬を勤め、正義感持つ人間で、太子の冤罪を察知している。出兵する前に人をやって太子に密告:“急遽、お立ち去りください。そういたしませんと、誅殺されましょう。”
太子建は宋に出奔した。