1997年、僕はある不動産会社に入社した。生活費を節約するために入った社員寮は2階建てで4部屋、ごく普通の家だ。元々は社長が住んでいたもので、社長は僕に、「1階は会社の倉庫として使うが、2階の二部屋は自由に使っていいよ」と言ってくれた。 JR東所沢駅から徒歩15分、とても静かで、小さい住宅地。
住宅地の周りは畑が広がる田舎の景色で、のびのびとしていてとても美しい。駅から社員寮までの道には、両端に誰が植えたのか、花や草などがあって季節ごとに鮮やかな色でその場を飾っている。僕は菊の花しか知識になく、その場に咲いていた花々の名前は勿論わかるわけがなかった。その中には夕方に咲く、喇叭(らっぱ)の形に似た5百円玉ぐらい大きさの花が咲いていた。それは僕が幼年時代、実家の庭で育てたことがある花で、何だか妙に懐かしさを感じたりした。
まさに世外桃源。なのに、彼女は、泣きながら引越しに来た。なぜかと言うと、僕の無鉄砲な性格で、不満が有ると容赦なく爆発するものだから、「いつ仕事をやめてもおかしくない、寮を出たら住むところもなくなる」と彼女は言う。僕は仕方がなく手を挙げて、「絶対半年以内に仕事をやめたりしないと保証する」と誓った。
生来、草花に興味があったが,園芸は彼女から大きく反対された。社員寮の敷地にはもう何年も生きてきただろうと思える,大きくて古い藤の木があった。枝は親指並の太さで,いつの間にか青い葉っぱが伸びて,階段を伝って,密に登ってきていた。葉と枝を無闇に踏んづけてしまってはいけないと思い,急いで縄で棚を作り,藤蔓を2階に上らせて建物全体を蔽わせようと試みた。僕はこの計画を喜び,誰にも言わずに毎日藤を世話していた。そしてそこから,漢詩が生まれた。
梅雨黄昏後、晴虹溢彩光。登階惜草盛、牽線引羅長。
隣舎成熟客、久居是故郷。去年双燕子、依旧上檐廊。
隣りには,50代くらいの,日本人夫婦が住んでいた。奥さんと初めて顔をあわせ言葉を交わしたのはゴミ出しの時だった。僕が日本語を理解出来ないのではと心配して,何の字典で調べたのか,中国語で「ラジ」と言ってきた。「ラジ」とはゴミのこと。玄関に入りゴミ出しのことをしつこく説明してきちんと僕にメモまで取らせ,僕が理解したのを確認してからようやく帰って行った。嫌な体験だった。そこで,出来る限り奥さんとは顔を会わせないように、隠れるようにしてゴミを出した。なんだかとても後ろめたい気分になりながら・・。
旦那さんの方が僕を訪ねて来たのは,社員寮の後ろ,敷地内の大きい名も知らない木のためだった。夏,あまりに繁茂し過ぎていて,彼の駐車を邪魔しているようだ。「こんな事をしていいかよ!木を切るなんか絶対に嫌だからっ!」と僕は直ちに冷たい口調で断った。しかし彼は信じられないことに,「以前も切ったよ。君の社長もそうしたんだよ」と何度も言いに来た。そこまで頼まれると仕方がなく,「切りたいなら君がやって,僕は手伝ってあげるから」と渋々承諾した。
その次の日曜日,旦那さんと僕は昼間から3時間もかけてその木を切り倒した。全身汗まみれ埃まみれになり,何とか作業を終えた。青空を見上げると,いくつかの白い雲が悠々と浮かんでいて,周りの田舎の風景にふさわしかった。夕暮れの蝉は昼間よりもっと元気に鳴いている。横になって,本を読むか,寝るか,クーラーの涼しさを楽しむ時だったはずなのに……あまりにもいやになって,堪らず旦那さんに言い捨てた:
「こんな事をして,我が中国では立派な犯罪だよ!緑化破壊だから」と。そんな僕の言葉に旦那さんはこっちも驚くほど驚いて見せたので,何だかそれ以上怒る気力も失せてしまった。木を切り倒した所に,僕はインゲンの種を撒いた。毎日水をやり,草刈ったり,棚を作ったり,丁寧に世話をした。
インゲンは三ヶ月に二回も収穫出来たので色々と調理して食べてみた。驚くほど美味しかった。美味しければ、もっと作ろう。僕は早速,道具や種,肥料も買ってきて,休みの日になると敷地内を耕して,種を植え,専業農家にでもなったような気分で働いていた。そして、友達へ送る手紙の中に,漢詩を加えた。
心似白雲托碧空、故郷依旧夢頴中。花開百艶終凋落、佛断七情始悟通。
歴経東瀛血与涙、懶評世事過和功。鋤園学種青苗豆、乳燕新啼柳緑濃。
あの頃のことを思い出すと,すべてが素晴らしい。彼女と自転車で所沢の市内と航空公園までも見物したし,付近の二つの大きな電気屋にも毎週必ず見に行った。
彼女との喧嘩もよくあった。一度彼女に怒られて,せっかく世話をした大事な藤を切られてしまったこともある。物音がして,出てみたら,彼女は煙が散るように,走って逃げていった。藤は散々な姿で,かわいそうに階段のところで切断され,もう救えない。心が痛んだけれど,仕方がない,屋上まで成長させる計画をあきらめた。
風水はあまり信じないけれど,木を切ってから色んなことが不調になって来た。木が切られた際にもすでに嫌な予感がしていた。挫折して,漢詩もたくさん作ったけれど,今はほとんど忘れて,一句しか覚えてない:
歳月徒然増旧夢,青春応悔誤他郷。
歳月(さいげつ) 徒然(とぜん)として旧夢(きゅうむ)を増(ま)し,青春(せいしゅん)まさに悔(く)ゆるべし 他郷(たきょう)に誤(あやま)てるを。
そして99年春,僕は仕事をやめた。社長が外国人差別的な発言をし,それが僕にとっては許せない行為だったからだ。
そういう経緯で僕と彼女は東所沢を出る決意をした。しかし社員寮を出る当日,ふと小さな若葉を出したばかりの,あのインゲンが目に入った。途端に,土埃(つちぼこり)に塗(まみ)れながら一生懸命インゲンを育てていた日々が思い出されて・・。なんだか急にその場を離れる事が辛くなった。
僕の次にこの社員寮に入る人は,あのインゲンをちゃんと守ってくれるだろうか? 僕は急に心配になった。
読み下ろし:(石倉 秀樹様のご提供)
①
梅雨黄昏後, 梅(ばい)雨(う) 黄昏(たそがれ)の後(のち),
晴虹溢彩光。 晴(せい)虹(こう) 彩光(さいこう)溢(あふ)れる。
登階惜草盛, 階(かい)を登(のぼ)り 惜(お)しむべし 草(くさ) 盛(さか)んにして,
牽線引羅長。 線(せん)を牽(ひ)き羅(ら)を引(ひ)いて長(なが)きを。
隣舎成熟客, 隣舎(りんしゃ)に成熟(せいじゅく)の客(きゃく)あり,
久居是故郷。 久(ひさ)しく居(お)れば是(こ)れ故郷(こきょう)なりと。
去年双燕子, 去年(きょねん)の双燕子(そうえんし)
依旧上檐廊。 旧(きゅう)に依(よ)りて檐(えん)廊(ろう)に上(のぼ)る
訳:
梅雨(つゆ)日暮れてのち
晴れやかな虹が 彩光溢れる。
階段を登り、いとおしく思う、草が盛んに茂り,
線を牽き羅を引いて伸びているのを。
隣りは熟年の人,
長く住めばどこも故郷のようだ。
去年のつがいのツバメが
以前のとおり 軒端にやってきた。
②
心似白雲托碧空,故郷依旧夢頴中。花開百艶終凋落,佛断七情始悟通。
歴経東瀛血与涙,懶評世事過和功。鋤園学種青苗豆,乳燕新啼柳緑濃。
心(こころ)は白雲(はくうん)の碧空(へきくう)に托 (たく)するに似(に)て,
故郷(こきょう)は旧(きゅう)に依(よ)りて夢(ゆめ)に頴 (すぐ)る中(なか)。
花(はな)は百(ひゃく)艶(えん)を開(ひら)くも終(つい)には凋(ちょう)落(らく)し,
佛(ほとけ)は七(しち)情(じょう)を断(た)って始(はじ)めて悟(ご)通(つう)す。
東瀛(とうえい)を歴経(れきけい)すれば血(ち)と涙 (なみだ),
世事(せじ)を懶(らん)評(ぴょう)すれば過(あやま)ちと功 (こう)あり。
園(えん)を鋤(す)いて青(あお)き苗(びょう)豆(とう)を種 (う)えるを学(まな)べば,
乳(にゅう)燕(えん) 新(あら)たに啼(な)いて柳(りゅう)緑(りょく)濃(こ)し。
訳:
心は白雲が碧空に身を托するようで,
故郷のことは昔どおりで、いちばん夢に見る。
花は百艶を開くがついには枯れ落ち,
仏は七情を断って始めて悟りに通じた。
東瀛(日本)での経歴は血と涙,
世事を懶評には過ちと功がある。
園を鋤いて青い豆苗を種えるのを学んでいると,
ツバメの雛(ひな)が新たに鳴いて柳の緑が濃くなっている。
2000年7月26日≪華風新聞≫第67期
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中国で社会人になったばっかりのとき、ある文学の愛好者が自発で作ったグループと知り合った。彼らは“青い鳥”という文学社を作って、全員若者で、カワイイ女の子も2,3人もいて、その中に、僕の高校時代の親友もいた。
青い鳥文学社は自費で定期的に『青い鳥』という新聞みたいな印刷物を作って、枚数は少ないけど、軽い墨の香りが漂う。内容はほとんど詩、エッセー、記事とミニ小説。
僕は自由体の現代詩があまり好みではない、はっきりと言えば、大嫌い。現代詩を作る人は読む人より遥かに多い今の時代だと友人も仕方がなく認めている。もともと立派な文章にできるはずなのに、なぜかメチャクチャの段落を付けて、無数の感嘆号や省略号を付き添え、綺麗な格律もないし、平仄の韻調もないし、心に残せる味わいも言うまでも無い。勝手に悪戯をしている子供を捕まって見たら、誰でも唐詩宋詞をいくつか暗誦出来るけど、現代詩を暗誦できる人は一人もいないだろう。
友人にこう言われた:君は古典文学に精通し、ものを書きたいなら決して難しいことではない、いい文章作れるだろうと。聞いたらかなり喜んでいて、すぐ外に出かけて、題材を探した。結局若いせいだろうか、書き出せる悩みがないことで凄く悩んでいた:国がそんなに豊かではないが、しっかり安定しているし、庶民たちは金がなくても、楽しそうに暮らしている。怒るべきことではないし、特に嬉しいことも無い、結局書くのを諦めて、家に帰ってそのまま寝た。
それから転勤し、そんなに賄賂する資金がないため、半年も転勤手続きを待っていた。あまり退屈で、友人の部屋(青い鳥文学社の所在地)を借りて、寝ている最中、乞食に来られて、いくらでもいい、金をくれ~って頼まれた。
おやじになる前の年で、汚い服を着て、顔色が意外に元気な乞食。僕の生活は今の乞食と余り変わらないと思って、僕は立ち上がった:“ちょっと待ってよ、俺も金が無いから、君と一緒に乞食をしよう!”と返事した。
服を着て、出ようとしたとき、乞食は煙のように逃げて、影も残さず消えて行った。せっかくの生活冒険で、もしくはいい小説にできるなのに・・・ちょっと悔しかった。
青い鳥文学社は約一年間活動を続けていた。終わりは誰も予想できなかった:会員の一人は地元の大学で『青い鳥』を配る際、警察に逮捕された。何日間拘留されてから釈放。『青い鳥』は無許可の出版物で違法だと通告され、即座に停止しろと命令されたので、青い鳥文学社のメンバーもそのまま解散された。
同じマンションに住んでいる十歳ぐらい年上の男、いつも礼儀正しくて、優しかったのに、なぜか最近急に髭を貯めて、髪も切らずに長く伸びていて、まるで脱獄した犯人のように見える格好をし始めた。余りにも可哀そうで、ベランダで数日間観察したが、原因が分からないまま。ある日、その男はマンションの下で自転車を修理しているところ、母親も偶然下を覗いたので、僕に教えた:“その男は最近新聞紙で一首の詩を発表したよ!”
僕は悟った:なるほど!これは詩人の格好じゃ!あははは・・・
日本に来てから、毎日仕事で忙しいので、文学と縁遠ざかった。見る見る日本の経済は悪化しつつ、金を稼ぐのはもうそんなに簡単ではなくなっている。銀行の残高は減るばっかりで、いくら考えても良策が得られない。焦るとき、新聞紙を見て、頭の中にひらめいた:なんで投稿しないの?少しでも小遣いは稼げるだろう。
迷わずワープロを探し出して、東芝と訴訟したこと、石原を批判したことを二つの文章に作って、修正する暇も待たずに、急いで新聞社に投稿した。採用してくれないと心配して、またFAXで他の新聞社に投稿した。一週間後に、各新聞紙を集めてみると、驚いたことに、投稿した文章はなんと6社が同時採用された!これはいけない、複数投稿なので、新聞社に怒られるぞ!
隠れる場所もない、携帯が鳴って、謝るしかない。考えてみると、確か自分が悪かったので、電話を掛けたり、FAX 送信したりして、こっちあっちに謝罪した。幸いみんな大目で見てくれて、追及されなかったが、原稿料がもうないと言われた。
やっと事態を収まって、ほっとした。単純に計算してみると、一円も稼いでなかったのに、逆に数千円の電話代やFAX代を損した。
彼女は経過を聞いて、大いに笑った。
≪東方時報≫2000年5月31日第277期(34版東方文苑)
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二十年前のことなので、僕はほんの少ししか覚えていない。
悪戯をした兄はスズメの巣から、一枚の卵を盗んできた。丁寧に柔らかい布に入れて暖かめて、何日間か立って、一羽のスズメが生命として、孵化してきた。
飛べるようになって、父親の自転車、サドルの下を巣にし、暮らし始めた。人間には怖くせず、毎日楽しんで餌を食べたり、飛んだり、鳴いたりしていた。
ずっと縄で足を縛ったので、ある日、足が折れてしまった。母親はその縄を解けて、自由にさせた。 成鳥になったスズメは毎日外へ飛び出して、自分で餌を探してた。夕方、決まった時間に家に帰って、父の自転車の下で寝る。
このまま、どれぐらい立ったのか
このまま続けていけばよかったが。
そんなばかな時代は誰の提案で、スズメを害鳥として、退治しようとした。全国一斉で、銃声や爆竹でスズメを脅かして、追いかけた、その時、疲れて死んでしまったスズメはどこでも見える。
我が家のスズメも同じ危険を経験しただろう
急に数日も帰らなくなった。もうだめだと思ったある日、そのスズメは突然屋根に立った。落ち着かない鳴き声に気づいた母親は庭に出て、餌を手に乗せて出した。
いつものようにすぐ飛んでくることはしなかった。その異様な鳴き声がなんだろう。人間への怒り?恐怖?何かを語りたいの?
屋根で長く啼いて、飛び回って、やっと手に飛んできた。ふだん通り食べ終わって、まだ屋根でしばらく啼いて、飛んで行った。その後、永遠に戻ってこなかった。と、母親はそのときのことを嘆きながら何回も僕に述べた。
そのスズメはどんな形か、どんな色をしたのか、僕はぜんぜん覚えてない。よく母親から話を聞いたので、見たことがあるような気もした。
今のスズメは町中に自由に飛び回っている。簡単に言えば、我が家のスズメも普通のスズメと同じだろう。僕は家を離れ、巣立ちのスズメのように、日本に飛んできた。見れば、日本のスズメも中国と大体同じだ。
今飼っている文鳥を見て、思い出した話だが、母親は今までも、当時そのスズメの啼き声にずっと不思議に思ったことをなんどか悟ったような気がする、それは、
それは別れを告げる啼き声じゃない?
そうだ!
そうだ!電話したくなった。久しぶりに母親に電話して、スズメのことを説明したい・・・
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東京では秋の到来をあまり気づかなく、高層ビルの隙間から吹いてきた寒い風のほか。
突然中国に居たときのことを思い出した。その秋の雰囲気は無意識で感じ取った:どこにもある芝生を通って、枯れた草茎が折っている音が耳を澄んでいる。桐の大きな葉が散歩道に落ちていて、硬いままじゃなく、たくさんの水分を吸収したため柔らかく、優しく道に敷いて、人の足音を隠してくれる。夜空を見上げたら、寂しくなった木の枝の間から青白い月が無表情で人間の動きを冷たく覗いている。
雨も多くなり、秋季が絶えず雨降っている。一回降れば一回寒くなる。都会にしろ田舎にしろ、どこでも静かで、喧嘩好きな人でも急に口を閉じて、沈黙になった。みんな何かを失ったように、またなにかやらなければならないことが待っているような気がする。
一番賑やかなところは居酒屋や料理店、特に夕方の時。苦しかった夏を送ったばかり、安静な日々で、旅行の計画も楽しみもない人は友人や親戚を呼んで、お酒で時間をつぶす。子供たちは手をもみながら、路上の羊肉の串焼き屋さんを焦って待っている。羊肉の串焼きが出たのは殆ど冬の時期、もうだいぶ寒くなって来た。家に居たらクーラーでも、ストーブでも、初めて暖房用具を使う際、大人も子供もなんだか微妙な、言葉で言えない興奮をする。
東京は違う。綺麗な街には一枚の落ち葉もないし、どこか踏み入れのできる芝生もない。旅行を計画して、新幹線で遠いところへ行って、山や山の中の紅葉を見に行きたいが、しかし秋の日本は一番忙しい時期:新しい商品は出番を待っていて、古い商品はセールを出していて、円は高くなり、株が変動中・・・・人間の時間は各ビルの事務所に消え、人間の生活は会社と狭いマンションの間で過ごす。毎日も走り回って、慌てて町中に貼っている「東北の紅葉へ!」、などの旅行会社の宣伝ポストを見、或いは混み合っている電車の中で首長くして紅葉の写真を分析し、現地の新鮮な空気を想像する。何時の朝、目が覚めたら、もう冬になってしまった。
東京の秋は短くて、哀愁を味わう時間もないほど短い。
人間は大自然の一部に過ぎないと、聴いた話。本当かな?人間は自然を改造して、自然を創造する。しかし、人間は自然に与えられた感情という恵みを忘れがち:歓楽、哀傷、平凡、壮絶、広大、恐怖、秀麗・・・・・・
たくさんの日本人は庭園やベランダで盆栽など、この狭苦しい空間の中で変形している花草を丁寧に育つのを見て、少し悟った:やはり人間が自然を忘れられず、自然復帰への望む原始本能の一種であろう。
≪東方時報≫2000年12月27日第305期34版東方文苑
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もっと古い国家はもっと後を下ろす。インド、エジプト、中国。
歴史の長い国は古い文化を持ち、誇らしい民族優越感を持っているため、外来の文化を簡単に受け入れることがなく、強く抵抗するのが普通である。中国は五千年のあふれて完璧な中華文化を育成して来たが、愚かな封建体制と腐敗体制も作り上げた。
中国朝代の変遷は、殆ど伝統思想と新思想の衝突によって行われていた。五千年で洗練された文化はこんなに頑丈で強く、歴史上の有名な改革や維新が全部失敗に終わってしまった。どれだけ仁愛で智慧に満ちている人は苦労したのか、命を捨てても何も成し遂げず、結局この世に一幕一幕の悲劇しか残せなかった。
例え王朝が交代して新王が即位するとしても、行われた改革は表面化の制度に過ぎなく中華文化の内容はちっとも更新されず、逆に新政権に悪用されつつである。五千年の中華文化は中国人の残忍、虚偽、利己、嫉妬、猜疑、劣等感を作り出した。
アメリカの建国歴史は僅か数百年なのに、様々な民族や文化が交え、上手く融け合って世界の現代文明を誕生させた。古い文化がないこそ容易に外来の文化を受け入れる;古い思想がないこそ、容易に新しい思想を作れる。想像してみれば、もしアメリカも中国と同じ数千年の歴史と文化を持っていれば、現在の中国より弱いだろう。
日本の歴史は頭から尾まで他人に真似てきた歴史であり、日本の文化は他国や他民族から勉強してきた文化の積み重ねと洗練してきた文化である。近代の強盛、現在の繁栄が出来たのはやはり日本人が外来文化を抵抗せず熱心に導入する原因であろう。
あまり自国の文化に拘るので、海外にいる中国人はいろいろな疑惑、或いは悲劇を生み出す。
ある日本の友人が僕に尋ねた:“なぜ我が店にいる中国人はお互いに我慢しなくて、よくもみ合って喧嘩しがちだろう?”
さすが僕が恥ずかしくて、友人の目を見れば悪意の挑発ではないと分かった。
僕はこう答えた:“我が中国人は生まれて新社会主義と旧中華文化に教育されて、日本のような資本主義の考えや意識、生活習慣と全く違っている。日本で生存したいなら自己調整をしなければならない。山登りと同じ、体質の違う人間は山登りの速度も違うだろう。個人の素質、経験、受けた教育、在日生活は異なっているので自己調整の程度も異なっている。この点で在日中国人はお互いに矛盾を生むきっかけになるだろう。
“仕事だけでなく、生活の中でもそのため悩んでいるだろう。中国で仲良い夫婦は日本に来て、新しい環境の受け入れは一致しないため不満不信をもたらし、離婚至るまでケースが数え切れない。
三十年前の文化大革命は、古い文化を打ち砕ける意味が含まれていたが、残忍無情な政治闘争で新しい構造や体制を作り出せなかった上に、古い文化も破壊されてしまった。
“日本社会はごく少ない中国人の犯罪行為を過言に宣伝し、在日中国人に大きくダメージを与えた。外国人は厳しい日本社会で生存手段を探しながら、日本人の極端な排外行為に直面しなければならない。多半数の外国人は日本社会の低層に暮らしても安心でいられず、人権や尊厳など言うまでもない。”
友人は納得できるかどうか分からないが、僕は自分の説得力には無力を感じた。何しろ、日本人は多くの外国人を迎えてきた、もちろん中国人とアジア人を。しかし在日中国人の現実情況を見ろ!自国の同胞に対しても我慢できなく:殺人、強盗、騙し、誘拐、殆ど中国人同士でやっているーーこれに対して僕は一番恥ずかしく感じる。
≪日本新華僑報≫2000年8月28日第42期
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僕の友人は青島出身で、日本に来てから、あまり海を見ないようにしている。日本の海は青島にとても似ていて、見ると思わず故郷を思い出し、心が辛くなると、言った。
海といえば、自慢したくなる。僕の故郷は××で、港町だ。僕は海の側で成長したので、海を愛している。
当時の父親は建築技術者で、大型な冷凍倉庫を建築するため、家族を連れて、市の中心から海近くの寮に引越しに来た。仕事に忙しくて僕のことをほとんど野放しにしていた。どうせ一年後に、小学校に入るからと、父親の考えだっただろう。
地元の子供たちは誰も知らないので、一時寂しく一人で遊んでいた。幸い、父親の同僚も家族連れてきたので、その娘さんが僕と同じ年だから、すぐ仲良くなった。彼女の名前は確か玲子で、静かで、綺麗な女の子だった。後、同じ小学校に入って、卒業まで一緒にいた。
よく一緒に遊んでいたところは勿論近くの海だった。そのときの海浜は荒野のように、人影もなかった。潮が立ち去って、大きな砂浜を露出して、いろんな海螺や、蟹は歩き回って、どこでも昆布や海草も拾えた。一つ渓流の浅い水がゆっくり海に流れ込んで、中には渓流から海に入るか、海から渓流に入ったか、皿みたいな大きな蟹もいて、のんびりで口から泡と出して、それを取ろうとする人もいなかった。
その小さな渓流の側に、大きな芝生があって、僕たちの最高の遊び場になった。夏には蜂や、蝶などでにぎわって、野生の生気がみなぎる。
夕方になって、家に帰る前、必ず一緒に海の月を見る。芝生で、無邪気な彼女は静かにそばにいて、頭に僕が野花で編んだ帽子をかぶる。小さな波の音を聞き、その綺麗な景色に酔って、声も出せなかった。潤い海の風が優しく吹いてきて、ちょっと寒くて、僕らは腰を抱いて、お互いの体温で暖かめた。
小学校卒業し、分かれてから、玲子と会ったこともなかった。お互いに海を離れ、内陸に引越ししたため、行方さえも知らなかった。
小学校卒業して、十年たって、一度一人でその海を見に行った。海は全然違う模様を見せてくれた:全国一の石鹸工場を作るため、元々十何キロの海岸線は今数百メートルしか残ってなく、海水浴場になった。海螺や蟹はもう完全に姿を消えて、芝生は壁に囲まれ、海浜の公園になって、小さな渓流も消えてしまった。今の海岸は小さくて、醜い。でも遊ぶ人は大勢いて、ゴミもこっちあっちに捨てられている。
日本に来て、やはり海が大好きだ。日本の海は故郷の海と比べ、色も風景も違い、勿論見た情緒も違う。日本の海浜は人工的な工夫が多く、中国の海のような寛大さ、自然さ、柔らかさが足りない。出張したとき、新潟や酒田などの日本海を見て、とても寂しくて、孤独を感じた。長い間故郷離れ、長年日本にいたせいだろう。
1998年、社員旅行で熱海に行った。偕楽園の7階に泊って、海に面している。夕食を済ませて、酒いっぱい飲んで温泉から出て、そのまま寝た。いつの間に、煩って目がさめた。起きてみると、周りは静かで、もう深夜になった。パジャマを着たままベランダに出て、思わず驚いた:目の前の海には大きな月が明るく昇って、風も波もない海面に銀色に映されている。海面に月の光が長い、広い、神聖な道を作って、僕の足元まで延びてきた。その懐かしく、久しぶりに会った恋人のような哀愁が、僕をその神秘未知な世界を導いてくれて、傷だらけの心を慰めてくれるように・・・
わけも分からない狂喜な念頭が湧いて来て、この幼年時代の幻意の道を踏もうとした。僕は懸命に我慢したが、涙を我慢することはできなかった。
なぜかその幼年時代の友たちに電話したくなった:海上に明月生じ、天涯此の時を共にす。この良き夜を、君は大切にしている?
それ以来、僕もあまり海を見ないようにしていた。
2000年5月4日≪中文導報≫第325期22版(文学欄目)
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新宿にある住宅販売の会社に勤めた時、よく小野さんと二人で市場調査や情報収集、業者回りをしていた。
小野さんは40代だろうか、長くも短くもない髪、みんなのように黄色く染めることはしてない。黒くて、しかし艶がない。化粧も絶対上手ではない、ちょっと不自然で粉をいっぱいつけている。でも、彼女はやはり美人に属して、若いときは可愛かったと思う。
外出や会社で四方山話の際から、小野さんが二十歳の時、日本航空会社にスチュワーデスを勤めたことが分かった。バブルの時期で退役したので、会社の優遇として、ほぼ無料で運転免許と不動産宅地建物取引主任の免許を習得した。三十歳ごろ結婚し、間もなく破裂で今まで独身のまま。
小野さんの声はとても魅力的。よく来社のお客様にほめられていた。スチュワーデス時代にそう訓練されたかどうかは知らないが、彼女自身は全然気にしない。これは彼女の性格である:誰にも無防備で、難しい計画や考え方には苦手タイプ。しかし、可哀想に彼女はこんな性格を仕事に表した。
わが社の社長は50歳ぐらい、明朗、率直で、どんな感情や気持ちでも隠さずにすぐ顔に出す。喜んでいるとき、レジ一つぐらいの些細なところもみんなと熱心に検討し、怒るとき、日本の総理大臣をも平気で部屋から追い出すだろう。なぜか最近怒りを小野さんに注いだ。正しかったでも間違っても、小野さんは何をやっても毎日社長に怒られる。
小野さんの勤務時間、半分以上は社長の怒鳴りの中でつぶされている。静かに受けて、たまたま“はい、はい”と答える。日本女性の我慢強い伝統な美徳は彼女の身から見られる。最初、小野さんは少し抵抗して、弁解を試みたが、そうしたら社長からもっと猛烈な反撃を招くしかないと悟って、黙って聞く対策を取り始めた。ーー小野さんの話では:こんな年だからすべてが我慢できる、左耳から入り、右耳から出る。と。
独身の女性は三十過ぎると変に変る、--これは小野さんを観察して出した僕の結論である。何回も見たが、電車の中や路上で、彼女は突然喉がガムに詰まれたように、苦しくて涙を止まらず流れ出す。びっくりした僕はそのわけを尋ねたら、彼女は微笑んだ顔をこっちに向けて、大丈夫、大丈夫といいながら、涙を流していた。
社長の悪戯のような叱りは、小野さんを全く改善してなくて、逆に彼女はもっと几帳面になっている:社長のすべての指示を一文字も漏らずにメモし、外出の時も常に電話で社長の意向を仰ぐ。実は、不動産の仕事に臨機応変、自由発揮の能力は欠かせない。小野さんはロボットに訓練され、自分の知恵や個性を失い、社長の考えについて行けず、怒られる回数は減らずに増えるばっかり。
小野さんの趣味はなんだか、今も分からない。一時パソコンに夢中して20万円をかけて一台パソコンを購入したが、半年も経たないうちに処分したいと言って来た。結局僕は中古電気屋さんに電話して、8万円の値段で譲り売った。
小野さんの仕事は、社長に怒られて、指示通りに動く以外に、僕の担当にもなる。僕の仕事の進展や結果は彼女に通じて社長に報告される。僕は小野さんに感謝しなければならない:彼女は僕の意思を完全に理解してから、社長の怒鳴り声の中で隙間を探して最簡潔な言葉で伝える。そのため僕は時間と力を省き、社長との正面衝突も避けられた。
部署変更して、僕は支店に転職したとき、小野さんとの挨拶も間に合わなかった。彼女はただ驚いて、またすぐ平凡な顔をするだろう。彼女に同情する言葉したいけれど、適当ではないと思って、やめた。
≪華風新聞≫2000年12月20日第86期19版
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妹は看護婦で、中国のある病院に5年も勤めていた。平凡な実績が言うまでもない、悪戯の笑い話は山ほど出来ていた。
一つは犬の歯事件。ちょっと若い男は病院の近く、犬の肉料理店でお酒を飲み、他人と喧嘩し、殴り合った結果、歯を一本折れてしまった。病院で手当てをして、去って行くべきだが、美しく清純な看護婦の妹にナンパしてきた。煩く話をかけて来て、最後は妹に:“俺にはどんな入れ歯をしたほうがいいかな?”と聞いてきた。我慢できなくなった妹はカワイイ笑顔で耳打ちした:“君はね、歯が折れたその犬の肉料理店に行って、女将さんに一枚犬の歯をくれって頼んで、入れ歯にしたらカッコウいいよ!”
その若者が直ちに怒って、院長の所まで行って訴えたので、妹は一ヶ月間のボーナスを差し引く罰だった。
もう一つは玉事件。ある文人みたいな患者は病院に来て、そこには痛みが有ると指差した。陰茎が痛いの?って、医者に聞かれたら、恥ずかしがり屋の患者は:“いいえ、たまたまタマが痛い。”と答えた。都合よく当番している看護婦は妹で、文人の話を聞いたら大きい声で笑い出して、又診察室を出て廊下で大笑いをしていた。結局又院長に叱責され、一ヶ月間のボーナスを差し引く罰だった。
妹はわんぱくに悪戯をし、活発で明るい、天性であろう。今年はなぜか日本へ留学しに来た。
日本は十年以上も経済不振に陥り、今までも変っていない。日本政府は毎年景気好転の発表をするが、全く見えてこない。妹はこんな時期日本に来たら、一番悩まされているのはやはりアルバイトを探すこと。僕はすべての友人にお願いして、やっとある按摩店のチラシ配りの仕事を見付かった。半年を無事に過ごして、妹はちょっとお金を貯めていて、今度はブラント品のカバンを買いたいと話してきた。僕は勿論それを反対する:“なんでブランと品を買わなければならないのか!お前は若くて美人だし、どんなカバンを背負っても似合うよ!”
妹は前後の見境もなく怒っている:“じゃあ、明日から爆薬の小包を背負ってあげる!”
仕方がなくブラント品の購入を認めた。別に爆薬の小包を心配することではなく、妹には確かフェンディのバッグが一番似合う。
日本語勉強の進行を伺いたかったが、妹に五十音図が出来たよ~とあやされた。勉強は学校ではなく、自分の努力と趣味が大事だと僕はいつも信じている。ちょっと時間があれば妹に日本語を教えたくなり、それは大きな過ちであった:本を読むとたんに妹は間違いなく睡眠薬を飲んだように眉をしかめてあくびをする。学校とアルバイトで大変疲れただろう、強引に勉強させてはいけない、僕は自ら慰めながら嘆くしかない:数十万人の中国人が日本で暮らしていて、そんなに日本語を上手にしゃべれるには見えてないが、上手に中国語をしゃべれる日本人が確か増えてきた。
有る日、仕事関係で妹がアルバイトをしている店の前を通った。ちょっと好奇心で妹の仕事振りを見てみようかと思って、目立たない所に隠して観察した。
妹はチラシを配りながら声を出した:“マッサージはいくらですか~~?”と。僕はびっくりして、ふと悟った:妹は“イカガ”を“イクラ”に間違っただろう。
普通の日本人は理解できないことに遇ったら大体知らん顔をする。妹に宣伝されたその通行人もただ目を見張って、唖然のままで可哀そうに急いで逃げてしまった。僕も堪えなくて挨拶もせず、首を低くして密かに逃げて行った。
≪華風新聞≫2000年12月6日第84期19版
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梅雨の季節が過ぎ,8月に入ったところ,誰かが角笛を鳴らすように,蝉たちが一斉に交響楽を演奏し始めた。東京は商業の町で緑が少なく,公園と郊外の少しばかり樹木がある所を除けば,蝉の鳴き声はあまり聞こえない。
わたしの家の近くには私立図書館があって,名の知れぬ巨大な樹木が数本、庭園に植わっている。そこを通るたびに,その高い音の鳴き声が聞こえるので,見上げて蝉の姿を探すのだが,木が高くて葉も多く,加えてわたしは近視なので蝉を見つけるのは無理に決まっている。ただ、声を聞くだけでも一応は、それぞれの木には三匹か四匹の蝉が、威張っていると判断できる。
幼年時代の思い出が心に浮かぶ。蝉を捕まえるための接着剤作りに随分苦労した。一般的な作り方として,病院で廃棄されたゴムの手袋を細く切り,少量のガソリンと一緒に瓶に入れて数日間、密封する。苦労と言えば、ゴムの手袋やガソリンなどの材料の収集や,粗くもなく細くもない竹竿を捜すことなど,児童にとっては決して簡単な事ではなく,時に大人の協力と理解を借りるための外交手段が問われもした。
捕獲した蝉は,ほとんどを糸で結び,自分の家の樹の上や草花に放すことが多い。運がよく多くを捕まえることができたら,油揚げするか火で焼いて,仲間たちと菓子のように食べる。
蝉の味がどんなだったのか、今でははっきり覚えてないが,そんなに美味しくなかったと思う,ただの遊びとして食べていたのだ。可哀そうに,なんの罪もない蝉が、声が大きいために禍を招いたのだ。もともと中国人は、食べ物に関しては、世界的にも有名であるだろう:熊の手から,亀や蛇,猫や犬,カエル,スズメ,サソリまで,全部卓上のごちそうにする習慣がある。 蝉を何個か食うくらいのことは、特別なことではない。
図書館で偶然,昆虫のことが書いてある本を読んでびっくりした:まさかと思ったが、古代ギリシャ人も、堂堂と蝉を食っていた。食べ方もわたしたちと同様に、油揚げや火で焼いて調理し,少しバターをつけて食べていたようだ。
もう一つエビソート:日本の長野県では、蝉を缶詰にして販売したことがあるという。ただ、それを買う人はあまりにも少なく、間も無く閉業したそうだ。
蝉は捕まる際に間違いなく一回尿を撒きだす。そこで、古代のヨーロッパの人々には、蝉を干して粉粉にしてコーヒーのように飲んだら、腎臓病を治療できると盲信していた者もいたようだ。
蝉は大量に発生すると,果物などの木に被害を与える。農家の拿捕法として,蝉の羽化の時期に地上50センチほどの木の幹に傘状の障害物を作り,土の中から顔を出した幼い蝉を一網打尽するやり方がある。
これほど大きな屠殺は、蝉に対してとても残酷で不公平である。蝉の幼虫は、成虫になるまでに少なくとも3,4年は土中に過ごす。しかし、その真っ暗な地下世界から羽化し、太陽に向かって歌う寿命は、わずか二週間ほど。その短い二週間に歌うだけでなく,恋人を探し結婚して子孫を残す任務も背負っている。また、この間、鳥やカマキリ,蟻などの襲撃や、人間の貪欲や掠殺に、対応しなければならない。
“蝉”と“禅”,中国語では発音がまったく同じで字の形も似ている。そこで,蝉の別名は“知了”。佛教にも関わる意味合いがそこに含まれているような気もする。しかし、惜しいことに、それを調べるための資料がなく、“蝉”が“知了”との呼ばれるようになった由縁を知ることはできなかった。また、中国古代の詩語では、蝉が風を餐(くら)い露を飲むと形容して,文士が、その清貧で高潔な姿を自身の姿の喩えとする場合が多い。人がなんと言おうが,蝉は、世間からの評価を気にせず我を忘れて歌い続けているのだから。
涼しい図書館に座っていると,静かでとても気持ちがいい。窓の外は炎天下で、木を燃やすほどの猛烈な日差し。蝉の出現は、日本の夏祭りと同じで,清涼な秋がまもなく到来することを意味する。閑静の中に身を置いて、漢詩を一首吟して、蝉を賛美しよう:
淡泊潔愛身, 淡泊(たんぱく)に潔(いさぎよ)く身(み)を愛(あい)し,
高調無相争。 高調 相い争う無し。
不了紅塵事, 紅塵の事を了とせずんば,
何来自在声。 なんぞ来たらん 自在の声。
訳:
淡白に潔くこの身を愛し,
高き調べは誰ともあい争うものではない。
浮世のことをすべてよしとしないなら,
どうしてこのような自在の声を発することができようか。
2001年9月1日≪中華時報≫第190期第88号
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東京の夏は年々暑くなり、我慢できないほど。
今年の関東地方、梅雨季節の雨量はいつもより少なく、ほとんど降ってなかった。たまり雷の音がするが、雨一滴も見えてなかった。そのため気温が連日高いまま、クーラーの排熱、車の排気、人ごみの流れ、プラス空気の汚れ、東京はまるでサウナ室の毎日。町中の女の子は薄着をして、極限を挑戦している。しかし可哀そうに、サラリーマンたちは依然カブトを着る昔の武士のようにきちんと洋服とネクタイを整然していて、決して乱れる事はしない。
僕は少し太っていて、暑さには弱い。あいにく部屋のクーラーも故障しがち。去年から調子が悪くなり、ちょっと叩いたら動いてくれたが、今は何をしても止まるまま。怒りの中で猛毒な言葉をかけたらなおさら暑く感じる。
扇風機は最速で廻っていても、吹きだした風が熱風なので全く役に立たない。住んでいるマンションは西向きで冬は寒くて夏は暑い、深夜になっても涼しい風が望めない。絶望の中、ホテルに泊まるかカラOKボックス行くかと考えていた。クーラーを交換したいが、もうちょっと我慢したら夏が過ぎるだろう、そんなに贅沢はしたくないと。
日本に来て最初の二年は横浜の郊外にあるアパートに住んでいた。そのぼろぼろ木造のアパートはクーラーがないけれど、周りの環境はかなり良かった:前は古いお寺で、後ろは雑草が茂る空き地であった。窓を全開し、裸で畳に大字の姿で仰向け、涼しい夜風を楽しむ。どうしても暑さに対抗できなかったら、お寺の境内へ行くのも嬉しいこと:夜空の下に人影もなく、十数メータの高い木の枝は真っ暗の中で軽く揺れる。怠けの野良猫は警戒しながら足跡を隠しながらもっと秘密な場所を探したり、石の椅子に座って夜中の微妙な音を聞いたりしている。とても平和で落ち着く夜。
後ろの庭が百平方メータぐらいで、何軒のアパートの真ん中にあって、地主がいないだろうか草や花自由自在に成長し、繁栄した際は人の腰まで伸びる。昼はたくさんの蜂や蝶、名も知らず昆虫が集まってくる。夏の末、コオロギの鳴き声が絶えず響いている。
そのときはちょうど有る友人と喧嘩して、会いたくないので詩を書いてドアに貼っていた:真朴還従憂患生、迄今無意覓高朋。鳴虫徹夜悲春盡、多少恩仇付晩風。
暑さの中でうろうろして、昔のことを思い出したらなぜか少し落ち着いてきた。人間はいっぱい苦しみを経験するのは決して悪いことではない、思い出になるとすべて美しくなる。十年間の東京生活、忙しい仕事と高層ビルの中に、大自然は遠ざかっていた。昔住んでいた手のひらのような小さいアパートはなぜかこんなに懐かしく思い出した。
2001年8月27日≪僑報≫創刊号13版華僑文学院
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不動産会社に勤務して、たまにポスティングをやっていた。そんな疲れる仕事ではないが、犬に驚かれたことはしばしばあった。
大体犬を飼う日本人は郵便局員や来客をびっくりさせないように、玄関に “猛犬注意”などの張り紙や標識を出すのは常識である。しかし、ほとんどその警告を気づいた前にすでに猛犬の吠え声が飛んでくるだろう。その警告はどんな役目があるか疑わなければならなく、一種の免罪通告、来客の文句を言わせない巧妙な手段しか考えられない。
何回も驚かされて、経験を積んで、静かに歩く方法を習得した。少林寺の武術には比べならないが、少なくても自己流のカンフ。残念ながらそれは犬に気づかれる前、先に犬を見つける方法で、吠えられる前に素早くチラシをポストに入れて、逃げること。
いろんな種類の犬に対してちょっと心得がある:大きい犬は突然の来客を疑わない限り、勝手に吠えるのはしない、吠えても長くはしない。憎まなきゃならないのは拳みたい小さいワンちゃん、シーズーやチワワ類、ちょっとした音や人影に喉が破るまで吠え続き、簡単にやめられない。
もちろん人間と上手く付き合う奴もいる。近くに住んでいる一戸建ての主人、若い男性が中型犬を飼っている。多分秋田犬だろうか渋谷の駅前のハチ公とそっくり:虎のように黄色い毛、かわいくて優しい。飼い主は怠け者か貧乏か知らないが、そのハチ公の食器にはいつも空っぽ。幸いハチ公は賢くて、主人の餌をあまり期待しなく、庭に座ったまま通る人を待つ。とても目立つ住宅地の入り口にあるので、スーパーから買い物をして帰宅する人は遠くからも手すりから出したハチ公の顔が見える。
ハチ公は傲慢でもなく卑屈でもなくて、体に立って丸い目で通行人を歓迎している。犬の主人は通常、他人が勝手に犬に餌をやるのは嫌なので、普通の日本人もめったり餌をやるのはしない。しかし失格の飼い主で、この子は可愛くて可哀そう、その愛嬌に負けてみんな慣例を破ってしまった。
僕は彼女とそこを通る時、必ず好きな食べ物をやって、毎日の習慣になった。彼女が作った料理、好きなお菓子、全部ハチ公の上なし楽しみの珍味である。
本来、みんな仲良く、お互いに友情を楽しんでいるが、ある日、故郷から郵送してきた牛肉の干物があって、香りもよく甘くて美味しい、更に猛烈な辛い後味。彼女は大喜んで食べているところ、急に牛肉の干物を少しポケットに入れて家を出た。まっすぐハチ公のところへ行って、いつものようにハチ公に食べさせた。
そして彼女は急いで逃げ始めた。僕は後ろから追いかけながら訳を聞いたら、彼女はこう言った:“犬は辛いものに弱くて、食べたら一生懸命吠えるだろう!”
直ちに、後ろからハチ公の吠え声が聞こえてきた:長くて、断続的で、なんか悲惨な泣き声のように、ハチ公は自分の油断を後悔し始めた。
その後、しばらく怖くて、僕を見たらハチ公は復讐として狂ったように吠え出して、飼い主に疑われるじゃないかと心配し、一時家に帰る道を遠回りしてハチ公を避けていた。
2001年2月28日≪日本新華僑報≫第60期
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初めて胆石という病名を聞いたのは、去年の3月、ある病院で診察を受けたときだった。
一昨年の年末から、ずっと不定期で腹部の痛みが出て、最初は胃の病気だと思って、近くの病院に行った。透析写真を見た女性のお医者さんは、胃の形がちょっとおかしい、胃の痙攣かも知れん、出来れば一回胃カメラで詳しく検査したほうがいいよと勧められた。
カメラに口から入れられ、胃まで挿入するのを想像したら、鳥肌も出てきた。早速その場で断った。
ちょっと生活の規則をよくし、休養すれば胃の病気が自然に治ると思っていたら、その痛みは日によってひどくなった。ほぼ毎日の発作で、薬での鎮痛も効かなくなった。我慢できなくて、タクシー呼んで、やっと病院に辿り着いた。前と違う病院だった。
先生は経験富、安心できるような年の男性、僕の悲惨な姿をみてびっくりした。慌てて看護婦に鎮痛注射を命じて、一刻もはやくCD透析室に送り出した。30分後、検査結果が出て来て、胆石だと診断された。
治療法を尋ねたら、先生は首を振りながら、手でお腹を切る真似をして:“手術で胆嚢を取るしかない”。
又、“胆石にはいい薬が無い、手術で胆嚢を取っても、体への影響は殆んど無く、一週間で回復できる。”と説明してくれた。
それにしても、男として胆をなくしたら、話にならないだろう。中国語には“胆大包天(天を包むほどの大胆)”とか、 “英雄豪胆”とかの諺があるし、『三国演義』にはわざわざ諸葛孔明のお弟子、姜維の大胆についてこう記した:計画に失敗した姜維は魏国の兵士にお腹切られ、“胆大如卵(卵のような大きい胆嚢)”。
だから中国では臆病の奴を“胆小如鼠”と称する。こんなに勝手に胆嚢を切り取ったら・・・
友人に尋ねたら、友人は責任を持たずに、気軽に言った:“気功師に頼んで、一発で石が砕けるだろう。”
其の話を聞くだけで、胆が痛くなる。昔も今も、気功や超能力やあまりに信じたこともない。少しお金を騙されたら別に構わんが、怖いのは、その無責任な一発で、もし胆石に当たらず、逆に肝臓を砕けたら、僕の人生はもうこれで終了するだろう。
しかし、石は確実に胆嚢にある。時々の痛みは石の存在を宣言している。気功も超能力も信じないなら、他の方法を探すしかない。こんなとき、上尾市にある癒しの里にカッサという漢方治療方を勧められた。
カッサのツボは:正面の期門、日月、梁門、背中の天宗、陽綱、足の的陽陵、外丘、光明、丘墟など。カッサの痛みは胆石発作時の痛みと同じぐらいだが、一時だけの我慢して、30分以内で終わる。
奇跡が起きた。
奇跡が起きた。胆石が消えたように、痛みがなくなった。十日間一回のカッサの治療を受けてから、今まで三ヶ月間も無事だった。通常通りの生活に戻り、人生の楽しみも戻ってきた。
(注)十回ぐらいカッサの治療を受けて、胆石の薬も飲んでいた。一年後、再び病院で透視を受けて、元々三つの大きい石はほぼ見えない一つになり、もう手術の必要が無いとお医者さんに言われた。
2001年10月1日≪中華時報≫第192期第90号
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東京の冬はとても怖い。怖いと言うのは、寒さでも、雨でも雪でもなく、その目に見えない静電気だ。
十月末から一月にかけて、北海道や日本海沿岸の雪が降り舞っている際、東京は一番乾燥している時期。
堅くて、骨まで凍みるほどの冷たい風が吹き、雪が降るのか降らないのか、空はいつも曇っている。
こんなときに、静電気が襲ってくる。
初めて静電気の怖さを味わったのは去年の年末のことだった。彼女と上野へ買い物に行ったとき、電車の中や歩いているときでも、お互いに十数回も静電気をうけ、言葉にできないほどつらかった。仕方がなく彼女の提案で二人手を組んで、離さずに一日を過ごしていた。
あまりに悩んでいるので、東急ハンズで腕時計の形をした静電気の対策品を購入した。
それには静電気の強度を顕示する液晶があり、結構値段が高かった。僕はそれを放電器と呼んだ。
使ってみるとずいぶん期待できる効果があったが、ただ金属のものに触れてから5,6秒の放電時間が必要だった。
電車のドア、路辺や階段のてすり、スーパーの柱など、金属でできている所は全部僕の放電に使われた。行き交う人の不審な目にとまってもかまわなかった。人の目を気にするのも大事だけど、静電気をうけることのほうが、僕には切実な問題だった。
買い物のとき、彼女はよく僕の行方を失った。なぜなら僕は店内の監視カメラを避けて、一人で黙って金属の柱に放電しているからだ。ある日そんな僕を見つけて彼女は大いに怒った。そしてその場で僕の放電器を没収した。
彼女は慎重に考えたのち、静電気は服の摩擦によって生じたもので、綿の生地のシャツを着れば解消できると判断した。僕は半分疑ったが指示された通りにした。しかしまだ検証できないうちに東京には雪が降りはじめ、乾燥の時期が過ぎて、静電気も雪に埋められるように、消え去ってしまった。
今年の一月、静電気はまた密かに僕らを襲ってきた。金属のものを避けている時でも時々感電してしまうことがあった。エレベーターのボタン、ドアの鍵、メールポスト、電車、自販機、そして水道の蛇口にも。
それは恐怖の毎日だった。綿製のシャツもまったく効果はなく、静電気がいっぱい溜まって、全身の毛も立っているほどだった。(彼女は僕から放電器を奪い、僕に隠れて、あちこちに当てて放電している。)
僕は新たに放電器を買おうかと思ったけれど、忙しい毎日を過ごすうちに乾燥時期もすぐに終わるだろうと思い、我慢した。
絶望の中、偶然秘法が見つかった。それは手に金属のボールペンやキーを握って金属の物に触れると、同じように放電できるという事だ。早いし、便利だ。彼女も僕もこの秘法にずいぶん大喜びした。
考えてみれば、指と手のひらの面積も違い、感電される刺激の感じも違うから、これも一つの科学原理なのだろうか?
2001年1月28日≪日本新華僑報≫第57期
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6月、関東地方は梅雨に入る。
しばしば雨はほぼ毎日も降ってくる。怨恨を持つ恋人のように付き纏い、静かに来、暗く去り離れ。せっかくいい天気であっても、どれぐらい持続できるか疑わなければならない、不爽快な季節だね。
気持ちも暗くなって、天気と同じ。皮膚はべたべた、動かなくても汗が滲み出る。部屋にはいつもカビの匂いが漂い、暑かったり、寒かったりして、どうしようも出来ない。
外国人は梅雨に苦手だと話を聞いたが、日本人もかなり狼狽している。春の雨は一回降れば一回の生気が出るけど、6月の雨は猛暑、疾患、病気を孕む。仕事後、居酒屋やスナックで時間つぶし、一杯飲むサラリーマンが増え始め、夜帰らず町で遊ぶ若者も増えてくる。
毎日電車で赤羽駅を通る旅、いつもむさぼりで川の景色を眺める。都内は草木も川もないし、一時自然の閑静を味わうことでも贅沢なことになった。赤羽の荒川は東京都と埼玉県の境で、広々川岸にはゴルフと散歩できる場所がある。梅雨の季節には、水たまりが少ない、人影も少ない。でも、よく魚釣りをする人が一人か二人が必ずいる。その濛々とする小雨の中で、悠々と釣りをする景色を見ると、実に羨ましくてたまらない。直ちに仕事を捨てて、川の側でのんびりで一日をすごし、風や小雨に身を任せるにしたかった。
去年はいい釣具を購入したが、忙しい仕事なので使うこともなかった。豊かな生活、貧乏な時間、これは日本式の暮らし方かな?そんなに金を稼いでないけれど、再び来ない青春は遠ざかりして、一生涯は家から会社までの往復に消えてゆくか嘆くしかない。
梅雨に入ったばっかりで、まだ一ヶ月も続く、こんな天気。もっと厳しい暑さに面すると覚悟したが、心に埋められている夢は永遠に清純である:~~この雨の中で釣具を持って、雑念なく一日を過ごし、どんなことにもどんな人にも邪魔されずに・・・
≪東方時報≫2001年7月5日第330期33版東方文苑
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郷に入ったら郷に従え!”という諺があるよね,日本に暮らす最大の楽しみはなんといっても花見であるだろう。春の風がまだそんなに暖かくなっていない,万物が甦るチャンスを待っている、梅の花が散り始める、そういう時に、桜が初春の最前線を乗っ取る。
他の花に比べ,桜には富貴の外装はなく,蜂や蝶を誘う香りもなく,鮮やかな色もなく,遠くから眺めても近づいて見ても同じで素朴そのもの。しかし,桜の木が大小老幼分け隔てなく葉が出る前に花が咲き,満開となるやいなや、見る人みな、感動せざるを得ない。
都内の名所は上野と九段下で,花見の人は山ほど集まって,座るのも立つのも出来ないほど。特に九段下の夜は灯りに飾られ,ロマンチックな雰囲気を作り上げて,灯りの中,桜の花が人を酔わせる。ちょっと寒い夜風に吹かれ,清酒やビールを飲みながら人ごみの進行に連れられ,まさに仙境に入る心地がする。歩く,歩く,そして、桜の花を離れ,人も灯りもなくなる場所に出て来ると,輝く星空。それを見上げると、思わずある種の寂しさが生まれてくる。そうだね,この哀愁こそが,花見の感触だ。
桜は南から北へ,日本の地理で言えば西から東へ順序良く咲いてくる。昔,文人詩人たちは九州から出発して,酒を持ちながら東北まで桜を追って,約一ヶ月間、のんびりと花見の楽しみを極めたと言う話を聞いたことが有る。
桜は花の期間が短く,一週間あまりしかない。中国の言い方か日本の言い方か,“桜七日”という言葉を覚えている。また、桜の咲く頃は、ちょうど冬と春の交代の時期で、天気が崩れやすい。急に冷たい風雨が花を襲うこともしばしばある。そのため,花を見るには、絶対に迷ってはいけない,時間があれば早々に花見に出かけて行くことだ。そうでなければ、突然の暴風雨。花が衰残した後では,嘆くしかないだろう。
去年、僕は仕事で忙しくて,花見の時期を見逃してしまった。漢詩を作る友人たちにいい加減な詩を捧げた:
四月春風遍天涯,東贏処処見櫻花。
不随万衆尋芳去,独立橋頭看晩霞。
四月 春風(しゅんぷう) 天涯(てんがい)に遍(あまね)く,
東贏(とうえい) 処処(しょしょ)に櫻(おう)花(か)見(み)ゆ。
万(まん)衆(しゅう)の芳(ほう)を尋(たず)ねて去(い)くに随(したが)わず,
独(ひと)り橋頭(きょうとう)に立(た)ちて晩(ばん)霞(か)を看(み)る。
訳:
4月 春風 天涯にあまねく吹いて
日本のそこここに桜咲く。
みんなは花見に出かけたが
わたしは(仕事があるので)ひとり橋のたもとで夕焼けを見る。
だから今年は油断せずに,花見の時期を早くから尋ねておいた:
芳草漸生雲淡淡,寒窓半掩日遅遅。
斟茶待客無多語,笑問花期是几時。
芳(ほう)草(そう) 漸(ようや)く生じて雲(くも) 淡淡(たんたん),
寒(かん)窓(そう) 半(なか)ば掩(おお)って 日は遅遅(ちち)たり。
待客(たいきゃく)に茶(ちゃ)を斟(く)んで多語(たご)すること無(な)くも,
笑(わら)って問(と)う 花期(かき)は是(こ)れ幾時(いくとき)かと。
訳:
花の草もようやく生えて雲淡く,
カーテンで半ば掩われた寒窓に日は春めいてゆっくりと進む。
待つ客に茶を斟(く)んで多くを語ることはないが
にこやかに花見はいつごろですかねと聞いてみる。
この一,二年,関東の気候は異常で,去年の夏は寒かったし,今年の冬は暖かかった。四月上旬に桜が咲くはずだが,今年は三月末ごろすでに電車の窓から何本のせっかちな桜が満開しているのを見える。
日本に来て以来ずっと、九段下で会社の同僚と花見をしたが,上野での花見は一回もなかった。今年は上野へ行こうと決意して,友人を誘っていた。予想以上に花見の人で込みあっていて,寸土寸金,座れるところはみんな占拠され,さらに余計なことに、テロ防止のための警官も多かった。料理店は満員,トイレの前も長い行列が出来ている。
お腹が空いたまま花見をしたので,もちろんいい漢詩も作れない:
晴光淑気催新緑,乍到春風猶帯寒。
漫漫花開如雪落,無辺絶景勝桃源。
晴光(せいこう) 淑(しゅっ)気(き) 新緑(しんりょく)を催(もよお)し,
乍(たちま)ち到(いた)る春風(しゅんぷう) 猶(な)お寒(かん)を帯(お)ぶ。
漫漫(まんまん)として花(はな)開(ひら)き雪(ゆき)のごとくに落(お)ち,
無辺(むへん)の絶景(ぜっけい) 桃源(とうげん)に勝(まさ)る。
訳:
晴れた光 春の気配 新緑を催すも
たちまち到る春風はなお肌寒し
漫漫として花開き雪のごとくに落ち
かぎりなき絶景は桃源に勝る。
今年の漢詩はあまり気に入らない。でも,考えてみると、この爛漫たる桜を誰が完全に描くのは出来るだろうか,一筆で書き尽くせるくらいなら花見の楽しみも存在しないだろう。
年々桜が咲く限り,年々花見の詩が作れる。~~こう考えてやっと気が済んだ。
《日本新華僑報》2004年4月28日第174期
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住んでいるマンションの管理員、入居者たちととても仲良かった。中年の日本人女性、毎日朝早く清掃しに来て、誰に会っても微笑んで挨拶して、幸せそうな感じ。
最近は豹変したのは、ゴミの問題で。このマンションには三分の二は日本人の入居者、三分の一は中国人と韓国人。入居契約にはゴミに対して厳しく定めなく、自由にゴミを出すルールだったが、マンションの大家さんは突然ゴミをきちんと分類して曜日によって出すよう、知らせて来た。多分大家さんは経費を節約するために、元々のゴミ収集業者をやめて、安い市役所のゴミ収集に変更しただろうか。
こうすれば、戦争が始まった:慣れていた自由に出すゴミを分類し曜日ごとに出すのは確か辛いことだ。一つは分類の仕方に悩んで、もう一つは出すべき曜日に間に合わなかったら、次の曜日まで何日間も待たなければならない。北朝鮮の核兵器を監視するアメリカのスパイ衛星のように、管理員は目を大きくしてゴミ小屋の近くでウロウロ歩いて、みんなのゴミだし情況を監視していた。たまには野良猫のようにキューとゴミ小屋に入って、みんなのゴミ袋を開けて検査していた。最初の段階、管理員は厳しく取り締まりで厳粛に打撃手段を取っていた:ゴミ出しの規定に違反する人の名前を大きく書いて、マンションの入り口の目立つ所に張り出す。日本人の名前もあるし、中国人の名前もある。僕は慎重に分類して真面目にゴミを出したのに、運が悪くて名前を管理員のリストに載せられてしまった。一時、マンション全体は恐怖の雰囲気に陥れていた。
どこに圧迫があったらどこに反抗が出てくる、ーーこれはドイツのマルクスかソビエトのレーニンかの名言。誰かが何をしたのか分からないが、取りあえず管理員は急に違反者の名前を張り出すことを辞めていて、代わりに様々な宣伝文句と警告をこっちあっちに張り出した。例えば:“ゴミを分類して出してください”、“曜日を守ってゴミを出す!”とか、ゴミ収集日及び分類とかの規定。正直に言えば、エレベーターに溢れた張り紙を見て、確か煩くて気持ち悪い。おせっかいがいるのか、一枚の張り紙が誰かに引き裂かれていた。
これは大変だ!翌日、管理員は再びエレベーターに張り出した:“誰が引き裂いたのか!ゴミを分類せず出すのは恥ずかしくない?”けっこう大きい太文字で、管理員の怒りが見えるほど。
僕はその犯人に早く自首しろってお勧めたくなった、もうめちゃくちゃだ!管理員の火力はとても激しくて、私たちは相手にならない。しかしその犯人は全く気にしないで、共倒れになったのか頑固に徹底的に行って、管理員の警告の張り紙に手当り次第に書いた:“あなたは乱れに書いたり張ったりして恥を知らないの?”
誰を見ても、一語の阿弥陀仏を讃えるだろうか。憤慨な管理員はどんなに残酷な手で報復してくるかみんな怯えていた。しかし思わぬ事態に、管理員は犯人の落書きを取っていて、優しい言葉を張り出した:“みんなの努力で、きれいなマンションにしましょう”。
これを見てみんなほっとした。犯人も管理員の真情に感動させられただろう。このままで平和な数日を送った。
この平和を保てればよかったのに、管理員はただ引き伸ばしの策でみんなを愚弄していた。管理員は今までなかった大きい紙を張り出した:“ゴミだしの規定を違反する人がいて、中国語の手紙を見付かったので、中国人でしょう!”
この張り紙は24時間も立っていないうち、誰かに引き裂かれた。戦争は益々激しくなり、昇級している。エレベーターには管理員の張り紙が増えていて、書いた内容に管理員の怒りと興奮な心境が溢れている。
いつか又名前が張り出されるか、僕はかなり怖がっている、何しろ個人のプライバシーだよ。文具屋さんに行って、小型の紙切断機を購入した。それから字が有る紙を全部砕けにしてから出し、後顧の憂いがなくで済む。
長い間を過ぎて、僕は急に悟った、なぜ管理員はゴミ違反者の名前を出さなくなったのか:マンションの全員は紙を砕けてゴミに出したじゃない?
神様よ!
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昨夜、曇っていて、久しぶりにベランダで涼しさを楽しんでいた。
半分寝込み、椅子に座って、空には雲がゆっくりと動き、周りに虫の鳴き声が夜の暗闇に響く。
遥か昔読んでいたシェイクスピアの《夏の夜の夢》に現れた精霊たちの夢はもう頭に浮かばない。大人の世界には現実と冷静しかない。
一瞬でもいい、昔の夢を拾いたい。
そのときの夏、僕は何歳だったろう。小学校?幼稚園?
父親と二人で、懐中電灯を持って、近くの小学校の庭に潜入して、廃墟のような壁の下、繁っている草の中でコオロギを探していた。
その小学校は大きくないが、その裏の住宅地が素晴らしいところだった:
石で出来た小道、両側は太い柳といろんな花草、一階建ての十数軒の人家がここで暮らしている。多分この学校の先生たちが住んでいるところだろうか、たまに出した顔が無言で、微笑んでいる。
この静かな雰囲気は僕の心を魅了していた。その長くない石の道を歩き、お婆さんのような優しい柳の陰に坐り、僕はこの辺の生活の匂いを嗅ぐのは好きだった。
さて、鳴き声が大きい奴が戦いに勝つと信じて、父も子供のように草の中で石を一つ一つのけて、壮健なコオロギを探す。いくつ奇妙な光が暗闇の中で曲線を作った、まるで流れ星のように、“それは蛍だ!”、父は電燈を消して驚喜の声で僕を呼んだ。
その夜で分かったのは、コオロギでもいろんな種類もいる。体の大きさ、色、頭の形、それぞれ違う。捕まりたいのは体の大きく、強力な顎を持つコオロギだ。大体声で分かる:細長いでなく、短く、太く荒い鳴き声をしている奴が宝物である。
見つかったら、丁寧に捕まらないと、大きな足が一本折れてしまう恐れがある。怪我したコオロギは戦いも出来ず、逆に相手の持ち主に笑われて、軽蔑される。
壮健なコオロギを探すのは大変な苦労である。暑い夜に汗を流し、何晩を掛けてやっといい奴を捕まったのは当たり前のことだった。
・・・・・・
なぜかその夜の記憶はここで絶えてしまった。
結局いいコオロギを捕まって、勇敢に戦ってくれたかどうか全然覚えていない。いいコオロギを捕まって、育つのも大事だ:毎日唐辛子やピーマンなど辛い餌をやって、凶暴な性格を培い、戦いに勝つと言われているが、命はそんなに長くなくて、一回戦で相手に噛まれて死んでしまう覚悟もしなければならない。
夜中に坐って、朝が近づくとともに、いろんな虫が鳴いている。人間としての地位、金銭、名誉はこの静寂な夜の一刻に、無意味になってしまった。
すべて循環巡回、夏は今も昔も変わってない、鳴く虫の命が受け継がれている。
変わったのは我々の心だけじゃない?
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どれぐらい笑顔を浮かび、どこまで歓呼の両手を挙げ、どんなに媒体記者を巧妙に驚かす、そして国民を感動させる勝利宣言の演説、アメリカ大統領はすでに練習し済み、ビンラディン氏を逮捕する瞬間を待っている。
しかし、その報告が来た際、さすがの大統領閣下はやはり興奮を抑え切れなかった。今はまた極秘情報として扱っているので、うるさい記者たちに漏れる時期ではない。
突然奇抜な考えが大統領の頭に閃いた:この何年間ずっとアメリカ合衆国を苦しめた人物に会って、話したい!
久しぶりに大統領は電話を取って、駐パキスタンの米軍基地司令部にダイヤルした。
“司令部だ、どちら様?”
“大統領だ。司令官を呼んでくれ。”
“どこの大統領?”向こうはアメリカ西部の訛りを混じって聞いてきた。
失礼な奴だなぁ~、大統領は不満。
“アメリカ合衆国の大統領だ。”
“えっ?本当なの?ご用件は何でしょう、早く言って、俺は忙しいんだぜ。”
“早く司令官を出さないと、お前をこれから暇人にするぞ!”大統領は怒鳴った。
向こうはびっくりして飛び出して、多分司令官を呼びに行ったため、電話を置いた。
5分間も待っていて、やっと電話から声が聞こえてきたが、司令官じゃなく、先ほど電話を受けた礼儀知らずの奴:
“すみませんが、只今司令官はトイレにいます。後でもう一回電話してくれって言っていましたが・・・”
大統領は思わず感嘆した:こんな緊急事態なのに、ウンコなんかする場合じゃないだろう。
“そこの君!これは国際電話で、1分間税込みで3.82ドルだぞ!このまま司令官に伝えろ!直ちに宅急便のようにビンラディンをヘリで俺のところに送って来てって!”
大統領は電話を切った。
窓の外には一本の梅が静かに花を咲いて、夕方の暮れ日に当たって、とても綺麗。
朝、大統領はいつもより早く起きた。昼11時ごろ、ビンラディン氏が大統領室に送り込まれる予定だから。
午後のゴルフ予定を取り消し、代わりに記者会見のスケジュールに変更した。大統領は自らこの世界を震撼させるニュースを公表する計画。
フセインを活き捕らえた時、大統領も会いたかったが、アメリカ中央情報局の人々はすごく心配していた:フセインの雄弁は世界に有名で、その正論、反論、正反論がどっちも得意なので、あいにくわが国の大統領は舌弁に弱く、言葉遣いの技術がそれほど上手いとは言えない。例えば、万が一記者の前でフセインに:“なぜイラクに侵攻したのか?”って聞かれたら、確か適当な理由がないので、返事できなくなる大統領は恥ずかしくて、その場で謝罪するしかない可能性が有るだろうと、中央情報局はこう考えて、汗も握り、歴史上初の全員一致賛成で、大統領の行動を必死に止めていた。
ところでビンラディン氏は怖い人物ではない。黙々で爆弾を仕掛けるばかりで、口は上手くない。何名の特殊部隊隊員が命を犠牲して最後に分かったのは、ビンラディン氏の英語レベルはまったくだめだということ。極秘情報によると、長期の山林潜伏生活したため、奴は“yes”と“no”の区別さえ分からなくなったそうである。神に加護される大統領はちょうどアラビア語も分からないので、ビンラディン氏に言葉が詰められる心配もあり得ない。想像してみたら、通訳が居なければ新聞記者らは分からないアラビア語に興味ないだろう、言葉の壁を利用して、大統領はむしろ言い放題できるだろう。と、アメリカ合衆国中央情報局の専門家はそう分析していた。
11時5分33秒、時間通りに大統領室の扉が開き、痩せて背高く髭のビンラディン氏が入ってきた。左右には二人の102.79ミリ個人携帯対戦車弾を持つ警備員と一人の若い通訳が立っている。
“ようこそ、アメリカへ。”大統領は熱情を込めて手を出した。
ちょっと照れ屋のビンラディン氏は無気力で握手をして、この豪華なホワイトハウスに不安を感じているようだ。
椅子に座って、大統領は大切に保管している玄米茶を出した。これは日本首相からのプレゼントで、100gは五百円(税別)の高価で市販されている。
ホワイトハウスには玄米茶の香りが漂っている。
大統領は手元に置いている本を開いた。本来《アラビア人とうまく付き合う方法》という本を特注したが、なぜか秘書は《日本人との話し方》という本を間違って用意してしまった。
少し調べてから、大統領は本を閉じてビンラディン氏に優しく声を掛けた:
“今日はいいお天気ですね。”
沈黙の中、みんな横の窓を覗いた。
ワシントンは曇っていて、初春の暴風雨が来そう。
ビンラディンは頷いて、懇親な顔で言った:
“大統領閣下:僕を逮捕して、大統領個人には栄光有ることでございますが、アメリカ合衆国にとって、大きな損害になるでしょう。”
この意味深い話を聞いて、大統領は唖然した。
“僕を逮捕して、これからのアメリカは確か安全になるに間違いありません。しかし、アメリカはどうやって国際社会で覇者の地位を保つでしょうか。大統領閣下は個人の栄誉のため、全アメリカの国益を犠牲しなければなりません。ですから、大統領のあなたは卑劣な人間しか僕は思っていません。”
大統領は怒りで顔が赤くした。この鼠のような捕虜に侮辱されることなんて許さんぞ!
ビンラディンは恐れず言い続けて、精確に訳すため、通訳もたまたま字引で単語を調べる:
“僕は自由に活動できるこそ、アメリカ政府は僕を口実にして、思うままアラビア政府、中東諸国に圧力をかけるし、好きなように軍事行動を行ったでしょう。今現在、世界各地も米軍基地が立てられ、各国はアメリカに怯えている。異議を持つ国があったら、すぐ攻めたり、制裁したりして結局アメリカに屈するしかありません。クウェートにしろ、アフガニスタンにしろパキスタンにしろ、どっちも僕のおかげでアメリカの植民地になったでしょう。連合国はアメリカの行動を制限できないし、日本やカナタやオーストラリアなどの国はアメリカのすべての軍事費用を出してくれています。
今、僕を捕まえて、アメリカは新しい目標を作らなければなりません。下手にすると北朝鮮の問題に直面しなければならない、貧乏な北朝鮮は美女以外にアメリカには何の利益もありません。そして、北朝鮮を利用して、日本、韓国、台湾、中国などを牽制できるでしょう。”
言いながらビンラディンは親切に通訳の辞典調べを手伝っている。
“僕を捕まって、あなたはアメリカ人の夢を実現しました。しかしアメリカのもう一つ夢を破滅させました。得より損が大きいでしょう、大統領閣下個人の栄誉のため、個人の貪欲のため。”
大統領は倒れそう、両手で頭を抱えて、悔しくて涙が出そう:僕はそんな人間ではない、僕はアメリカの国体と国民に奉仕すると神に誓っていた。
深く深く考えて、大統領は震える手で電話を取った:“大至急、中央情報局長を呼んできてくれ。”・・・・・・
午後の記者会見で大統領はいつもの素敵な笑顔で出席した。記者の質問に対して、アメリカ合衆国大統領はちょっと残念な様子で答えた:
“昨日確かビンラディン氏の身柄を拘留したが、残念ながら手錠の品質問題で逃げられてしまいました。しかし、わが国の特殊部隊はその行方を追っています。いつかの間に必ず奴を逮捕できると僕は確信しています。”
記者たちは歓声を上げて長く拍手した。感動の涙を流す女性もいる。
初春の暴風雨も始まった。いきなりの雷にみんな驚いた。
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時 間
一年間を掛けて、君に
僕の名前を覚えさせた
十年間を掛けて、僕に
君の笑顔見せてくれた
百年間を掛けて、君を
思いつづけているので
何年間を掛けて、君を
全て忘れられるだろう
感 謝
神様に感謝する
この素晴らしい世界をくれたから
父母に感謝する
すべての幸せの始まりだから
友人に感謝する
理解と支えをくれたから
彼女に感謝する
この上ない恋を感じたから
自分に感謝する
感謝の気持ちを持っているから
吼える夢・・・ (我が家のワンちゃん)
寒くなってきて、もう完全に冬になってるね~。
暖かいお家にいたら、よく眠れる。
北海道などもう雪が積もっているそうで、
そのまだ見たことも無い雪が僕の夢を飾る:
黄昏の雪原に
静かで瞬時に走り去った物陰は
我輩の遥か昔の先祖たち。
たまに、真っ白な世界に響く
長い、寂しい吼え声が
力強く生きる誇り
自由不屈の喜び
この世の全ての生物を
震えさせた。
その先祖の魂が
僕の体に潜んだ本能を呼び出し、
夢に響く仲間呼ぶ野生の声が
僕の血を沸き立たせ
その興奮が熟睡を打ち破り
すると、
僕は飛び上がり
音をするところに向かって
吼え出す・・・
歪んだ美
結局、重ねてきた美は
歪みになるだろうか
君の才能に嘆くしかない
完全な美には
必ず欠陥を隠し入れる
神様の創造を永遠に
理解できない私たちは
ミロのビーナスの
完璧な美を
驚嘆して、惚れていく・・・
寒~い
12月に入って、今日は一番寒いかな?
雪が降ると思ったら、ずっと冷たい雨だった。
東京に近い大宮は、気温も大体同じ、
いつも1月成人式の日の前後、雪が降る。
今年は暖冬だと聞いたけど、
全然そうに感じてない。
でも、雪を見たいね~、
着物姿の女の子も見たい。
成人式を迎える楽しい男女たち、
笑いながら、真っ白な雪を踏んで行く。
やはり、新しい人生の始まりは、
純白だったな~
涙
遥か昔、泣いたことがある
その時、聖書を勉強してた。
三ヶ月間ラーメン生活で
全ての時間をかけて、
神の言葉を勉強してた
神は来なかった、
逆に地獄の毎日だった
ちっとも改善ない日々
主に救われるよって、
いくら励まれても
もう、神に頼らない
神に捨てられるより
神を捨てたい
僕の涙は、その神を
捨てた瞬間だった
夢
年を取れば取るほど
夢の色が暗くなる
大人の世界に疲れた人にとって
夢は唯一の昔の思い出
たくさん持ってた夢は
現実に情けなく捨てられた
遠ざかった夢は よく
真実のように思い出す
行 方
前人に踏まれた道を
前向きにしても、
新しい夢が見つからない
前人の道を外れて
迷いの中に
新しい探検が待ってる
草に覆われてる道に
宝蔵への発見がある
すべて経歴した苦労は
幸せになったときの思い出になる
けど、
その外れた道を歩んで
僕の行方を、みんな
後ろからどう見てるんだろ
雨
半開の窓から、雨の音
冷静になった心、
そのリズムに合わせる
夜の雨は春の哀愁を
作り出す。
今夜また夢になるだろう、
遠い我が故郷・・・
雨
この小雨の天気が好き、
曇って、薄暗い環境、
僕の鬱郁な気持ちに
ぴったり似合う。
明日は晴れになって、
必ずなにかいいことがあると、
期待してるからだ
暑い夜、眠れない夜
夢をくれていた君はどこにいる?
求められない君の美しさ
責められない君の冷たさ
僕の存在は君の
人生の中で一滴の涙に過ぎない
流れ星は僕の祈りを満載したため、
重遅くなり、
その一瞬の薄輝く光で
君は、昔の楽しい日々を
思い出してくれた?
(BBSの書き込み)
①返事
皆に心配させて、ご、め、ん、ね!
ちょっとだけの旅行で
暑い風を追いかけて、
どこまで逝ってしまったか知りたくて
皆に心配させて、ご、め、ん、ね!
恋の宿命を知りたくて
山の小屋で
星様といろいろ話してた
皆に心配させて、ご、め、ん、ね!
女の戦いは一瞬で終了
気づかなかった愛が来て
あたしの自由を他人に預けた時
皆に心配させて、ご、め、ん、ね!
愛は人生の最大の冒険だ
素敵な時間を大事にしたい
みんなと話すまでに
もうちょっとその愛を確かめたい
②色
空はいつも青
心にはたまに黒
あたしはたくさんの涙で
その黒を流して
消すのを試みた
未知の未来に
未来の恋に
あたしは、どれぐらいの涙を
用意しなければならないの?
僕のワンちゃんの歌:
お月様①
僕の想像を遥かに超えて
どれぐらい歳月が経っていただろう
僕の想像を遥かに超えて
どれぐらい空間を照らしてるだろう
僕の想像を遥かに超えて
どれぐらい世の出来事を見ただろう
繰り返し、繰り返し
終わらない世のドラマを、
千編一律のロマンチックと悲劇の混じりを
見つめていて
つい、つい涙を
雨に化して、流れてくる
お月様②
影をプレゼントくれた~、お月様!
この夜の平和が美しい
大地がお月様の灯りに包まれ
僕はこの空間の中で
夜の神秘を探ってゆく
いつころに残した未練の足跡
いつころに残した青春の匂い
いつころに残した朦朧の想い出
月光の中で遠ざかって、融けてゆく
なぜか、お月様の目線に
偶然に合わせた瞬間
僕は急に照れてしまった
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