概要
チベット高原一体に分布し、シナ・チベット語族チベット・ビルマ語系のチベット語を用いる。7世紀、国王ソンツェンガムポの命によってインドに派遣されたトンミ・サムボータによって作られたという伝承を持つ独自の表音文字(チベット文字)を持つ。大多数が、8世紀に国教と定められた大乗仏教の信者であるが、近年では世俗化が進んでいる。またボン教やイスラームの信者もいる。
チベット語では「プーリー」 (bod rigs) と自称する。 「プー」はチベット、「リー」は種族、民族の意。現在「チベット民族=プーリー」は、包含する内実が相違する二つの用法で用いられている。
前近代以来用いられている伝統的な用法は、チベット本土の人々「プーパ」と、ブータン、ラダック、シッキム等の諸国の人々などをあわせた、チベット系の人々に対する総称。
中国の統治下で近年用いられ始めた用法は、中華人民共和国の国民を構成する少数民族の一つ「蔵族(ぞうぞく)=チベット族」と等置されるチベット語の呼称。これは、中国が国民を民族識別工作によって民族別に区分する際、チベット系の諸集団の多くを識別することによって成立した概念で、チベット系の人々のうち、チャン族、ロパ族、メンパ族、トン人等として識別された集団や、ブータン、ラダック、シッキムなど中国の国民ではない人々は含まれない。チベット族は、チャン族、ロパ族とともに民族区域自治政策に基づく集住地域の設定を認められる等、中国の55の少数民族の一つとしての法的地位を有する。
分布
この民族は、ブータン、ネパール、インド、中国の4か国に分布する。ブータンはこの民族自身が樹立した唯一の国連加盟国で、他の3か国においては「少数民族」として分布しているが、伝統的な分布地域の大部分において、人口の多数派を占めている。この民族の分布地域の面積・人口とも、大部分が中国の統治下におかれている。この民族の唯一の独立国家ブータンは、歴史的にはチベットの辺境地方に位置し、政治・文化の中心ヤルンツァンポ河流域は、現在、中国が設置した行政単位「西蔵」地方の中枢を占める。人口は、四カ国で約600万人、ブータンで約60万人、中国の2000年の国勢調査・第五次人口普査でチベット族(蔵族)として識別された数5,416,021人、亡命チベット人約15万人など。中国人の宗教弾圧により1/5の人口を失った。
ブータンにおける分布
ブータンの国土は、標高3500 - 7000mの山地が占める北部と、中央部、インド平原に連なる南部からなるが、チベット系の人々は、主として中央部に居住し、南部地方ではネパール系住民が多数を占める。
中国における分布
チベット自治区(西蔵自治区)の全域
。
青海省の全域。東北部を除く省内全域に、チベット民族(チベット族=蔵族)の民族区域自治単位として、以下の諸州が設けられている(一部は他の民族と合同)。
ゴロク・チベット族自治州
海北チベット族自治州
海西モンゴル族チベット族自治州
海南チベット族自治州
黄南チベット族自治州
玉樹チベット族自治州
四川省では、同省の西半部を占める以下の各民族自治州、民族自治県とその近辺
ガパ・チベット族羌族自治州
カンゼ・チベット族自治州
涼山イ族自治州:ムリ・チベット族自治県
甘粛省では以下の民族自治州、民族自治県とその近辺
甘南チベット族自治州
武威市:天祝チベット族自治県
雲南省では、同省西北部に位置する以下の民族自治州とその近辺
デチェン・チベット族自治州
ネパールにおける分布
ドルポ地方
ムスタン
インドにおける分布
ジャンムー・カシミール州:ラダック地方
シッキム州
ヒマーチャル・プラデーシュ州北部
アルナーチャル・プラデーシュ州
歴史
国家の成立
六世紀末から七世紀半ばにかけ、吐蕃王朝がチベット高原を統合、842年に王朝は崩壊したが、高原の住人たちは、王国の末裔としての意識、王国が国家事業として翻訳にとりくんだ仏典に依拠した仏教信仰などを紐帯として、一国の民としての連帯感を保ち続けた。
その後、チベット仏教の拡大と共に、ダライ・ラマを指導者に戴く政教一致国家に変貌していく[要出典]。
中国による侵略と大虐殺
中華人民共和国成立後、毛沢東はダライ・ラマ14世と北京で会談したが、無神論を強要した。1951年、中国人民解放軍がチベットのうち、まだガンデンポタンのもとで中国の支配から自立していた西蔵に侵攻。チベット民族を大虐殺した後、十七ヶ条協定を締結、自国領として組み入れた。中国は「農奴の状態にあったチベット族を解放した」と自賛している。その後は、多数の漢民族をチベットに移住させ、文化・経済を支配。そして、チベット人との強引な混血による民族浄化を推し進めている。西蔵自治区の区都ラサは、既に漢族が多数派の状態にあると、チベット亡命政府は主張している(中国政府統計によるとラサ人口の八割が蔵族)。2006年7月1日、青蔵鉄道が開通し、漢民族のチベット弾圧はさらに拍車がかかるものと思われる。
中国人による支配を嫌ったチベット族は、ヒマラヤを越えて北インド・ムスリに脱出し、ダラムサラにチベット亡命政府を樹立すると共に、チベット人学校を設立し、民族文化の継承に努めている。日本にも、東京・新宿にダライ・ラマ亡命政府日本代表部を開設している。
現在
2008年3月14日、チベット自治区ラサで、中国政府に対する僧侶や市民の抗議行動が起こった。中心部の商店街から出火するなど、市街への被害も大きい。既に正確な人数を把握するのは困難なほどの犠牲者が出ており、亡命政府によると、16日時点で死者はほぼ100人近く、負傷者も400人を超えているとの見方を示した。現在、世界各国の中国大使館前で中国政府への抗議活動が繰り広げられている。[
【民族简介】
藏族,约有人口5416021人(2000年人口普查数据),主要分布在西藏自治区以及青海、甘肃、四川、云南等临近省。主要从事畜牧业,兼营农业。
藏族是汉语的称谓。西藏在藏语中称为“博”,生活在这里的藏族自称“博巴”。“博巴”又按不同地域分为“兑巴”(阿里地区),“藏巴”(日喀则地区),“卫巴”(拉萨地区),“康巴”(四川西部地区),“安多娃”(青海、云南、川西北等地区)。藏语依地区划分为卫藏、康、安多三个方言。
素有“世界屋脊”之称的西藏,美丽神奇,是藏族的主要聚居地,在现有1 3 0 多万人口中,藏族占9 5 %。 藏族是中国古老的民族之一。据史书记载:早在秦汉以前,藏族先民就聚居在雅鲁藏布江中游两岸。由于草原辽阔,水草肥美,生产多以牧业为主。主要有绵羊、山羊和牦牛、犏牛。其中牦牛体大毛长,耐寒负重,除供奶、肉外,还是交通运载的“高原之舟”。农业以种植青稞为主,也有小麦、油菜、碗豆等农作物。 藏族服饰无论男女至今保留完整。不同的地域,有着不同的服饰,对研究藏族的服饰文化有着重要价值。
藏族有自己的语言和文字。属汉藏语系藏缅语族藏语支。藏文的使用,加强了藏族与祖国中原地区经济的联系。十世纪到十六世纪,是藏族文化的兴盛时期,几百年间,藏族文化大放异彩。除举世闻名的《甘珠尔》、《丹珠尔》两大佛学丛书外,还有关于韵律、文学、哲理、史地、天文、历算、医药等专著问世。
藏族人民热情开朗、豪爽奔放。他们以歌舞为伴,自由地生活。藏族民歌抑扬顿挫,合辙贴韵,悦耳动听。唱时还伴以各种舞蹈。舞姿优美,节奏明快。其中踢踏舞,锅庄舞、弦子舞最为广泛流传。
【民族历史】
藏族的先民自远古时就居住于雅鲁藏布江中游两岸,6世纪山南雅隆部落首领,成为当地诸部的领袖,号称“赞普”(王),建成自称为“博”的奴隶制王朝。7世纪初,赞普松赞干布统一整个西藏地区,定都逻娑(今拉萨),在汉文史籍中称为“吐蕃”。 吐蕃建政后,在政治、经济、文化等方面有了很大的发展。进入9世纪后半期,吐蕃王室分裂,藏族地区出现长期分裂割据局面。到了元朝,政府把藏族地区的分裂局面统一在中央王朝的统治之下,在中央设宣政院,管理藏族地区事物。这是中央在西藏设官建制的开始。明朝承袭元朝管理制度。清朝统一中国后,在中央设置理藩院,并任命驻藏大臣,会同地方办理西藏事物。公元641年赞普松赞干布与唐朝的文成公主联姻,被唐封为驸马都尉西海郡王。公元71O年,犀德祖赞又与唐朝的金城公主联姻,由于与东部中原地带的政治、经济、文化等方面的交往,使西藏社会逐步有了很大发展。元朝把藏族地区置于中央王朝统一治理之下,设置由中央管理的三个宣慰使司都元帅府,管理包括西藏在内的全部藏族地区。明朝也设置了行都指挥使司等地方行政机构。清朝,在中央设置理藩院,管理西藏、蒙古等地事务。对西藏地区正式册封达赖喇嘛(1653年)和班禅额尔德尼(1713年),设立西藏地方政府“噶厦”(1751年),并任命驻藏大臣(1728年)。历届民国政府也在中央设立了管理蒙藏事务的专门机构。1934年,国民党政府在拉萨设立蒙藏委员会驻藏办事处,是中央派驻地方的专门机构。新中国成立后,1959年建立了西藏自治区筹备处,1965年正式建立西藏自治区。
【宗教信仰】
藏族信仰佛教。公元七世纪佛教从印度传入西藏,至今已有1 3 0 0 多年的历史。公元1 3 至1 6 世纪中叶,佛教日益盛行,佛事活动频繁,佛教寺庙遍及西藏各地。著名的寺庙有甘丹寺、哲蚌寺、色拉寺、扎什伦布寺和布达拉宫。
藏传佛教(俗称喇嘛教)主要教派:公元10世纪后,随着藏传佛教“后弘期”的开始,陆续出现了许多教派,早期的有宁瑞派(俗称“红教”),萨迦派(俗称“花教”),噶当派,噶举派(俗称“白教”)等。15世纪初,宗喀巴实施宗教改革,创建格鲁派(俗称“黄教”).此外藏传佛教还有一些独立的教派:息学派,希解派,觉宇派,觉囊派,廓扎派,夏鲁派等。
【饮食习惯】
以青稞等制作的糌粑和酥油、青稞酒是农牧民的主要食品。糌粑是由青稞或碗豆炒熟后磨制而成的炒面,把糌粑用酥油茶或青稞酒拌和,用手捏成小团就可以吃了。酥油茶是把砖茶的茶叶倒入1米长的木质长筒内,加上盐巴和酥油,用长轴上下冲击,使其各种成分均匀融合而成。藏族同胞宁可三月无肉,不可一天无酥油茶。青稞酒是用当地出产的青稞酿制而成的一种低度酒,男女老少皆喜欢,食物多用肉食和奶制品,不少人爱吃风干的牛羊肉。
【婚丧习俗】
西藏人死后有五种葬法,最隆重的是塔葬,然而只有活佛和一些领主死后,即享受火葬。小孩死了,或因其它病疾死亡的人,则把尸体丢进河里喂鱼,这叫水葬。生前作过坏事的人,即用土葬。藏族认为,被埋的人是永远不会转世的。 天葬寄托一种升上“天堂”的幻想。天葬仪式一般都是在清晨举行的。死者家属在天亮前,要把尸体送到拉萨北郊的天葬台,太阳徐徐升起,天葬仪式开始。不经允许一般是不欢迎人们去观看的。
【服饰特色】
藏族服饰无论男女至今保留完整。不同的地域,有着不同的服饰。特点是长袖、宽腰、大襟。妇女冬穿长袖长袍,夏着无袖长袍,内穿各种颜色与花纹的衬衣,腰前系一块彩色花纹的围裙。藏族同胞特别喜爱“哈达”,把它看作是最珍贵的礼物。“哈达”是雪白的织品,一般宽约二、三十厘米、长约一至两米,用纱或丝绸织成,每有喜庆之事,或远客来临,或拜会尊长、或远行送别,都要献哈达以示敬意。
藏族广布西藏、四川、青海、甘肃、云南等地,服饰多姿多彩、男装雄健豪放;女装典雅潇洒,尤以珠宝金玉做为佩饰,形成高原妇女特有的风格.
藏袍是藏族的主要服装款式,种类很多,从衣服质地上可分锦缎、皮面、氆氇、素布等、藏袍花纹装饰很讲究,过去僧官不同品级,严格区分纹饰。藏袍较长,一般都比身高还长,穿时要把下部上提,下摆离脚面有三、四十公分高、扎上腰带。藏袍可分牧区皮袍、色袖袍、农区为氆氇袍,式样可分长袖皮袍,工布宽肩无袖、无袖女长袍和加珞花领氆氇袍,男女穿的衬衫有大襟和对襟两种,男衬衫高领女式多翻领,女衫的袖子要比其他衣袖长40公分左右。跳舞时放下袖子,袖子在空中翩翩起舞,非常优美。
帮典——即围裙,是藏族特有的装束,是已婚妇女必备的装饰品,帮典颜色,或艳丽强烈,或素雅娴静。
藏帽式样繁多,质地不一。有金花帽、氆氇帽等一二十种.藏靴是藏族服饰的重要特征之一,常见的有“松巴拉木”花靴,靴底是棉线皮革做的。
头饰佩饰在藏装中占有重要位置,佩饰以腰部的佩褂最有特色,饰品多与古代生息生产有关.讲究的还镶以金银珠宝、头饰的质地有铜、银、金质雕镂器物和玉、珊瑚、珍珠等珍宝。藏族同胞特别喜爱“哈达”,把它看做是最珍贵的礼物。“哈达”是雪白的织品,一般宽约二、三十厘米、长约一至两米,用纱或丝绸织成,每有喜庆之事,或远客来临,或拜会尊长、或远行送别,都要献哈达以示敬意。
【民族禁忌】
接待客人时,无论是行走还是言谈,总是让客人或长者为先,并使用敬语,如在名字后面加个:啦“字,以示尊敬和亲切,忌讳直呼其名.迎送客人,要躬腰曲膝,面带笑容、室内就座,要盘腿端坐,不能双腿伸直,脚底朝人,不能东张西望.接受礼品,要双手去接.赠送礼品,要躬腰双手高举过头。敬茶,酒,烟时,要双手奉上,手指不能放进碗口. 藏族人绝对禁吃驴,马肉和狗肉,有些地区也不吃鱼肉. 敬酒时,客人须先用无名指蘸一点酒弹向空中,连续三次,以示祭天,地和祖先,接着轻轻呷一口,主人会及时添满,再喝一口再添满,连喝三口,至第四次添满时,必须一饮而尽. 吃饭时要食不满口,咬不出声,喝不出响。 喝酥油茶时,主人倒茶,客人要待主人双手捧到面前时,才能接过来喝. 禁忌在别人后背吐唾沫,拍手掌. 行路遇到寺院,玛尼堆,佛塔等宗教设施,必须从左往右绕行. 不得跨越法器,火盆. 经筒,经轮不得逆转. 忌讳别人用手触摸头顶。
【民族礼仪】
藏族在迎接客人时除用手蘸酒弹三下外,还要在五谷斗里抓一点青稞,向空中抛撒三次。酒席上,主人端起酒杯先饮一口,然后一饮而尽,主人饮完头杯酒后,大家才能自由饮用。饮茶时,客人必须等主人把茶捧到面前才能伸手接过饮用,否则认为失礼。吃饭时讲究食不满口,嚼不出声,喝不作响,拣食不越盘。用羊肉待客,以羊脊骨下部带尾巴的一块肉为贵,要敬给最尊敬的客人。制作时还要在尾巴肉上留一绺白毛,表示吉祥。
献哈达是藏族待客规格最高的一种礼仪,表示对客人热烈的欢迎和诚挚的敬意。哈达是藏语,即纱巾或绸巾。它以白色为主,亦有浅蓝色或淡黄色的,一般长约1.5米至2米,宽约20厘米。最好的是蓝、黄、白、绿、红五彩哈达。五彩哈达用于最高最隆重的仪式如佛事等。
【民族节日】
转山会藏族传统节日,又称沐佛节、敬山神。流行于甘孜、阿坝藏族地区。每年农历四月八日诞辰时,有九龙叶水为其沐浴,故又称沐佛节。每年这一天,甘孜藏区远近群众身着民族服装,汇集到跑马山上和折多河畔。人们先到寺庙里燃香祈祷,焚烧纸钱。然后转山祭神,祈求神灵保佑。转山后,支起帐篷进行野餐,演藏戏。唱民间歌谣,跳锅庄舞、弦子舞,骑手们还进行跑马射箭比赛。在此期间,人们还要举行物资交流活动和其他文化体育活动。
采花节南坪县博峪一带藏族传统节日。每年农历五月初五日举行,节期两天。传说,很久以前博峪是一个荒僻的山沟,人们以采集和狩猎为生,以树叶和兽皮做衣服。一天,从远方来了一位叫莲芝的姑娘,她美丽善良,心灵手巧,教会了当地人们开荒种地和织布缝衣,还采来百合花为人们治病。有一年五月初五这天,莲芝上山采花,被镍风卷下悬崖摔死了。人们很悲伤,便在这一天上山采花纪念她。久而久之,形成了采花节。
黄藏历元旦是藏族人民最重要的节日,要穿着盛装相互拜年,并到寺院朝拜祈福。正月十五日,各大寺院举行法事,入夜,各家点燃酥油灯盏,在青海塔尔和拉萨大昭寺等寺,喇嘛用酥油制成的酥油花,色彩鲜丽,雕塑精巧,远近驰名。四月十五日,相传为释迦牟尼成佛和文成公主到西藏的日子,各地举行宗教活动纪念。七月,粮食收成在望,农民背着经卷转绕田间,称旺果节,预祝当年丰收。
【建筑特色】
藏族最具代表性的民居是碉房。碉房多为石木结构,外形端庄稳固,风格古朴粗犷;外墙向上收缩,依山而建者,内坡仍为垂直。碉房一般分两层,以柱计算房间数。底层为牧畜圈和贮藏室,层高较低;二层为居住层,大间作堂屋、卧室、厨房、小间为储藏室或楼梯间。若有第三层,则多作经堂和晒台之用。因外观很像碉堡,故称为碉房。
碉房具有坚实稳固、结构严密、楼角整齐的特点,既利于防风避寒,又便于御敌防盗。
帐房与碉房迥然不同,它是牧区藏民为适应逐水草而居的流动性生活方式而采用的一种特殊性建筑形式。普通的帐房一般较为矮小,平面呈正方形或长方形,用木棍支撑高约2米的框架;上覆黑色牦牛毡毯,中留一宽15厘米左右、长1.5米的缝隙,作通风采光之用;四周用牦牛绳牵引,固定在地上;帐房内部周围用草泥块、土坯或卵石垒成高约50厘米的矮墙,上面堆放青稞、酥油袋和干牛粪(作燃料用),帐房内陈设简单,正中稍外设火灶,灶后供佛,四周地上铺以羊皮,供坐卧休憩之用。帐房具有结构简单、支架容易、拆装灵活、易于搬迁等特点。
西藏民居在注意防寒、防风、防震的同时,也用开辟风门,设置天井、天窗等方法,较好地解决了气候、地理等自然环境不利因素对生产、生活的影响,达到通风,采暖的效果。
民居室内外的陈设显示着神佛的崇高地位。不论是农牧民住宅,还是贵族上层府邸,都有供佛的设施。最简单的也设置供案,敬奉菩萨。